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2018年 マスターズ
期間:04/05〜04/08 オーガスタナショナルGC(ジョージア州)

三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

「マスターズ」敗者のストーリー ノーマンはかく語りき/ゴルフ昔ばなし

4月のメジャー初戦「マスターズ」開幕まであとわずか。今年も世界のマスターたちが世界最高のゴルフショーを演じます。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏による対談連載は、オーガスタナショナルGCで繰り広げられてきた名場面にフォーカス。涙をのんだ敗者と、語り継ぐべき勝者のエピソードを厳選して紹介します。

■ 悲劇のヒーロー グレッグ・ノーマン

―「マスターズ」の歴代最多勝利はジャック・ニクラスの通算6勝。次いでアーノルド・パーマータイガー・ウッズの4勝。通算3勝でジミー・デマレット、サム・スニード、ゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)、ニック・ファルド(英国)、フィル・ミケルソンが続きます。グリーンジャケットを巡る争いで、特に心に残る選手はいるでしょうか。

三田村 ひとりはやはりグレッグ・ノーマン(オーストラリア)だと思います。マスターズはそれぞれの時代におけるトッププレーヤーが勝つという必然性みたいなものがあった。しかし、ノーマンは当時、世界最強と言われながら勝てなかった。
宮本 まずは1986年。ノーマンはジャック・ニクラスに負けた。ニクラスが46歳で優勝し「ジャック・イズ・バック」となった年で、中嶋常幸もその争いにいた。続く1987年はラリー・マイズセベ・バレステロス(スペイン)との三つどもえのプレーオフで敗れた(マイズが11番でチップインバーディを決めて優勝)。そしてなんといっても1996年大会。2位に6打差をつけて首位で迎えた最終日に大崩れ(78)。ファルドにタイトルを献上してしまった。
三田村 ノーマンは世界ランキングで通算331週もトップに君臨した。グリーンジャケットにあと何が足りなかったのか、と今でも思う。しかし逆に言うと、彼には力があり余っていたんじゃないかとも思う。実力があふれているからこそ制御不能になり、勝てなかった、とすら考えさせられた。

■ 敗者のインタビューに見る人間性

三田村 ファルドに負けた1996年、ノーマンのインタビューを忘れることはできない。彼は会見場のイスに座った瞬間「くそったれなゴルフ」と悔やんだ。一方で、メディアは彼に辛らつな質問を浴びせた。すでにキミは株で40億円くらい儲けたから、勝たなくて良かったんじゃない?この先もう、マスターズには出たくないんじゃない?そんな問いにノーマンはひとつずつ、丁寧に答えていた。6打差を逆転され、ボコボコに殴られた後、さらに傷に塩を塗られる。そこで平然と答えるノーマンがいた。怒ってしまえば、社会人として、プロスポーツマンとして認められない。結果的には彼は本当に人が良かった。それも、勝てなかった運命かもしれない。
宮本 ノーマンはもちろん米国にとって外国人。それでも、ファンもマスターズ委員会もノーマンに勝ってほしかったはず。ジーン・サラゼン、バイロン・ネルソン、サム・スニードがかつて、試合前に行っていた名誉スタートをアーノルド・パーマー、ジャック・ニクラス、ゲーリー・プレーヤーが引き継いだ。伝説的な選手が同じ空間にいるという、すばらしい雰囲気を受け継いでいくのがマスターズ。その中に今後、ノーマンがいないというのは残念で仕方がない。だからこそ余計に彼の“負けっぷり”が目立つ。

■ マキロイ、スピース…サンデーバックナインの悪夢

―1996年、大逆転負けを喫したノーマン。最終日は“アーメンコーナー”の後半11番までにボギーを重ね、12番(パー3)では第1打をグリーン手前のクリークに落としてダブルボギー。マスターズにはやはりサンデーバックナインに悲劇があります。

宮本 マスターズの魅力は流れのおもしろさに尽きる。攻略するにあたり、僕は10番をどう過ごしていくかが、その後の流れを決めると思う。だから最終日は必ず注目選手の10番ホールの写真を押さえに行くんだ。
三田村 やっぱりアウト9ホールの方がスコアを伸ばしにくい。アウトいくつで終えるかでインの攻め方が変わってくる。多くの選手は昔アウトを「36」、インを「34」で回り、2アンダーを基本的なスコアとして計算したという。だから前半9ホールを我慢して、バックナインで一気に攻めに転じるのが定石。攻めるがゆえにトラブルも多い。
宮本 直近でいえば、2016年にジョーダン・スピース12番(パー3)で2回クリークに落として崩れた。2011年にはロリー・マキロイ(北アイルランド)が最終日に10番でトリプルボギーをたたいて優勝を逃した。選手はみなバックナインで伸ばしたい。13番、15番(いずれもパー5)ではイーグルのチャンスもある。でもその直前、10番から12番がとにかく難しい。12番の距離、155ydなんてプロにとっては何でもない。それが、上空を風が舞うこと、そして次の13番以降でエンジンをかけたいという気持ちが、プレーヤーの邪魔をする。あの構成がドラマを生むんだと思う。
三田村 敗れたスピースは12番のティショットの前に「深呼吸をするべきだった」と振り返っている。メンタル的に落ち着くべきだった、と。けれど、それすらできなくするのが、10番、11番、12番の3ホール。人間の弱いところをくすぐる。
宮本 みんな12番ではオナーでありたくない。風が舞うから。ベン・ホーガンはかつて、ティグラウンドで「左ほおに風を感じたら打つ時だ」と言った。つまりアゲンストの時だね。そうでも考えないと、正解のクラブが分からない。見事な作りなんだ。
三田村 ほかのゴルフ場とは少し違うのが、オーガスタナショナルはギャラリーの歓声が別のホールでもよく聞こえるところ。木々で声が反響する。前や後ろの組の選手が「バーディを取ったんだな」と考えたり、それが勘違いだったりする。同じフィールドにいながら、同じ時刻に同じ場所では戦っていない。これがゴルフの不公平さであり、面白味のあるところ。時間差にも左右され、選手の心を惑わせる。

■ ジェントル・ベンの15本目のクラブ

―多くの敗者が生まれた一方で、オーガスタの女神に特に見初められた選手もいました。ビッグ3やセベ・バレステロス、タイガー・ウッズら各時代を代表するレジェンドはもちろん、珠玉のストーリーを残した勝者もいます。

宮本 「グリーンジャケットを着たい」という全選手の思いが、こういうゲームを作ってきた。スーパースターはもちろんだが、そうでなくても、しぶとくやればチャンスがあることもマスターズは証明してきた。ベン・クレンショーの2勝目(1995年。初勝利は1984年)なんて、43歳で飾った。師匠のハービー・ペニックが試合の前週に亡くなり、テキサスでの葬儀に出向いてからオーガスタに帰ってきて勝った。
三田村 ペニックは「ベンは飛距離が出ない。けれど、あいつには“15本目のクラブ”がある」と言った。15本目のクラブとは頭だった。クレンショーはゴルフを良く知っていた。ゲームマネジメント、メンタルの整え方が実にうまかったんだ。
宮本 オーガスタナショナルGCはかつて黒人キャディだけで、マスターズでも当地のハウスキャディしか認めない時代が長かった。1980年代にプロキャディの帯同を認めたが、彼はずっと同じハウスキャディ、カール・ジャクソンを使い続けたんだ
三田村 1973年の「全米オープン」でクレンショーに初めて会い、インタビューをした。翌年にマスターズに初出場をした時も宿舎に話を聞きに行ったんだ。さぞや立派な家を借りているものと思ったら、彼はダウンタウンのモーテルに父と兄と一緒に泊まっていた。エキストラベッドを狭い部屋に入れてね。自分を飾り立てることを決してしない人柄。ある年、スタート前に練習場から1番ティに向かう途中、小さい子どもがクレンショーの元に駆け寄り「パターのグリップはどう握っているの?」と聞いた。すると彼はわざわざ腰を落として、子どもの目を見ながら握りを教えていた。マスターズのティオフ前だというのにね。そういう振る舞いが“ジェントル・ベン”と呼ばれる所以。ギリギリの緊張感に包まれる中で、そういった人間的なものが垣間見えるのもマスターズだからこそだと思う。

クレンショーが2勝目を挙げたのが1995年。翌1996年はノーマンがファルドに敗れた年でした。そして続く1997年は……そう、タイガー・ウッズがマスターズに“革命”を起こした年です。腰の故障からカムバックし、着々と完全復活の準備を整えているウッズは今年、3年ぶりにオーガスタでプレーします。連載は次回、21年前の衝撃に迫ります。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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