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三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

メジャー制覇は夢のまま 岡本綾子の悲運と美学/ゴルフ昔ばなし

2018/09/27 11:30


国内女子ツアーは今週「日本女子オープン」が千葉CC野田コースで行われます。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏の対談連載は日本の女性レジェンドを特集中。今回は、岡本綾子編の第2弾をお届けします。1987年に米ツアーで外国人選手として初めて賞金女王のタイトルを手にした“世界のアヤコ”はメジャーでも激闘を繰り返しましたが、ついにはその夢をかなえることはできませんでした。

■ 1987年「全米女子オープン」での美学

―宮本カメラマンは1980年代中盤、中嶋常幸選手の米ツアー参戦に伴い、米国でお仕事をされるようになりました。青木功選手、尾崎直道選手らの姿も追いながら、女子ではちょうど岡本選手が全盛期を迎えていた頃。彼女の姿も多くレンズに収めてきました。

宮本 1987年に米国に渡った僕にとっては、この年の「全米女子オープン」の記憶が鮮明にある。会場はニュージャージー州のプレーンフィールドCC。雷雨が続いて史上初めて火曜日までプレーオフがもつれた試合だった。上位を争っていた最終日(正規の最終ラウンド)、13番ホールで1mのバーディパットのチャンスを迎えたが、ライン上に他選手のスパイクマークがあったんだ。
三田村 軽いスライスラインだと思ったそうだ。「あのスパイクマークに当たったら入らない」と思っていた一方で、「自分が優勝するのであれば、当たっても関係なく入る」と感じていたそうだ。彼女が打ったボールは結局、マークに当たってカップを外れてしまった。最終的には(優勝した)ローラ・デービース(イングランド)とジョアン・カーナーとの三つどもえのプレーオフに突入した。ただ、岡本さんはそのプレーに後悔はなかった。考えようによっては、スパイクマークをこっそり修復して打つこともできたかもしれないが、それはルール違反(2019年1月からは修復可能になる)。「私はそういう運命なんだ」と受け入れたそうだ。
宮本 岡本さん自身、「これを入れたら勝てる」と思えたシーンだった。けれど、チート(ずる)をしたくなかった。そうやってメジャータイトルを手に入れても、自分はゴルファーとしてずっとそれを背負って生きていくことを拒んだんだ。

■ 1991年「全米女子プロ」でのUターンと小さな拍手

―1977年に樋口久子選手がメジャー制覇を達成した「全米女子プロ選手権」で、岡本選手は84年以降8年続けてトップ10入りを果たしました。中でも最も頂点に近づいたのは91年大会。宮本さんは当時、遠征で行動をともにされていました。

三田村 ワシントン近郊のベセスダCCで、岡本さんは優勝争いをした。メグ・マローン、パット・ブラッドリーと1打を競う競り合いで、ひとつのバーディがタイトルに直結する状況だった。最終18番、岡本さんは6mほどのフックラインのチャンスを迎えた。打った瞬間、入ったと思ったそうだ。それがカップ際で右に切れてしまった。「その時は血の気が引いた」という。
宮本 自信があって、その通りに打ったにもかかわらず外れた。当時、僕は岡本さんや彼女のスタッフたちと毎晩、近くの日本食レストランで食事をとっていた。残念だった最終日、岡本さんがなかなか来ない。しばらくして遅れてやってきた。「実は…」と言う。負けて、コースからレストランまでの車に乗り込んだが、途中まで走ってUターンしたそうなんだ。トランクからパターを取り出して、もう誰もいないコースの18番ホールに戻り、もう一度、あの6mのフックラインを試合と同じように打った。今度はボールがカップに沈んだそうだ。ゲームには負けたけれど、「やっぱり私は間違っていなかった」と確信した。誰もいないはずのコースで、拍手が聞こえたんだって。中継用のテレビタワーを片付けていた現地のスタッフがひとり、そのシーンを見ていた。岡本さんは手を挙げて応え、もう一回コースを後にしたんだ。

三田村 岡本さんはメジャー制覇にはあと一歩が届かなかった。何かが足りなかったという見方もできるが、彼女の残したものはあまりに大きい。
宮本 チートをしたくないとか、試合に勝てなくても、自分の打ったパットをもう一度確かめに行ったりするのは彼女のゴルファーとしての根本なのだと思う。そういう美学が付きまとう。岡本さんは悲運だった。「全英女子オープン」(1984年)でも勝ったが、米ツアーのメジャー大会に昇格する以前の話だった。そういう運命があったのかな…。

岡本選手は永久シードを持つ国内ツアーの2005年シーズンを最後に、第一線を離れました。その後は若手育成に取り組み、「日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯」ではコースセッティングアドバイザーを務めるなど、未来のゴルフ界に尽力しています。次回、女子ゴルフ編の最終回では岡本さんの米国時代の若かりし豪快伝説を紐解きます。

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三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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