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三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

プロも憧れたアマ 中部銀次郎の最期は青木功と…/ゴルフ昔ばなし

「日本アマチュア選手権」通算6勝――。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏による対談連載は、日本のゴルフ界に異色の足跡を残した故・中部銀次郎を特集しています。プロより強いアマと称されたサラリーマンゴルファーは2001年12月に食道がんで他界。今回は生前ツアートーナメントにも多く参戦し、プロゴルファーからも広く慕われたキャリアを振り返ります。

■プロの試合でも優勝

―中部さんは甲南大在学中に2回、社会人時代に4回「日本アマ」を制した一方で、1967年には「西日本オープン」でも優勝。現行のツアー制施行(1973年)前に、のちに倉本昌弘石川遼松山英樹が達成するプロ参加試合でのアマチュア勝利を手にしました。

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三田村 当時からアマチュア界では中部さんの強さが際立っていたから、プロの試合にも多く呼ばれて出場していた。昔のプロゴルファーの中には、彼をリスペクトした選手はたくさんいて、隠れてアマの試合を見に行くプレーヤーもいたんだ。尾崎将司ですら、対面した時に「僕は一度、中部さんの試合を見ているんですよ」と言っていた
宮本 中部さんは青木功選手と同世代(ともに1942年生まれ)。ひとつ頭にとどめておきたいのが、当時はプロとアマチュアを取り巻く環境が今とは違うということ。あの頃、プロゴルファーは、賞金を現金でクラブハウスで支給されるような時代。まだ職業ゴルファーの地位が確立されていなかったと言っていい。
三田村 まだプロの試合が少なかった時のこと。朝日新聞や読売新聞もアマチュアゴルフの記事を5段抜き(タテ約20㎝)、写真入りで報じる時代だった。
宮本 「アマチュアの方がなんだかカッコいい」という価値観もあったはず。ゴルフの原点であるルールとマナーを守り、スマートに回る。「あるがままにプレーする」というのは、ただスコアを競う、そのためなら何でもいい、という一部のプロゴルファーに対するアンチテーゼでもあったように思う。中部さんはそういったプロの様(さま)はあまり好きではなかった。倉本昌弘なんかは「憧れの選手」によく中部さんを挙げているが、彼のプレー以前にゴルファーとしての“振る舞い”にも惹かれたのでは。

■日本のボビー・ジョーンズ

三田村 アマチュアが大いに認められていたのは、日本だけではない。アメリカでも生涯アマチュアだったボビー・ジョーンズが伝説化したようにね。「全米アマ」「全英アマ」で優勝したビニー・ジャイルズというアマチュアも有名で、のちにプロ選手の敏腕マネジャーとして活躍している(デービス・ラブIII、メグ・マローンらを担当)。彼が「中日クラウンズ」に来た時に中部さんと対談をしたが、彼もアマチュアゴルファーとしての高いプライドがあった。
宮本 PGAツアーのコミッショナー(第2代)だったディーン・ビーマンもアマチュア時代の活躍が目立った選手だった(のちにプロ転向)。
三田村 ビーマンはPGAツアーのプロたちに「強くある前により人間らしくあれ」と言った。それはアマとしてゴルフの理念を忘れていなかったからかもしれない。

■誰よりも「スクエア」だった?

三田村 中部さんは体力面で言えば、やはりAONに代表されるトッププロにはかなわなかった。それでも距離感を合わせることには定評があって、「スピンコントロール」という言葉がまだなかったときに、そういう考えを取り入れていた。加えて、精神面でのゴルフとの向き合い方を大事にした。日本ではまだスポーツカウンセリングという観点がなかった時代。当時の日本は心療内科に行くことを多くの人がためらうような環境だったが、プレー中に平静を保つことが重要といち早く考えた。とはいえ、中部さんは必ずしも堅実だったかというとそうではない。プレーオフになったアマチュアの試合を一緒に見ていた時、木のそばからのショットをためらった選手を見て、彼は「もう帰ろう。アイツの負けだ」と言ったことがあった。「状況を考えてみろ、プレーオフは1ホールしかない。クラブが折れてもいいと思ってちゃんと打たなきゃいけない」とね。状況判断に優れたゴルファーとしか言いようがない。
宮本 中部さんは時々、岡本綾子選手にアドバイスを送ったこともあった。今はレッスンプロが当たり前になったけれど、あの頃は「見て盗む」のが常識だった。とはいえ、青木功もジャンボ尾崎も、個性的なスイングをしているでしょう。その中で中部さんの打ち方や体の使い方はシンプルで、攻め方を重視してプレーした。そういう意味ではプロゴルファーたちからも“スクエア”に見えたんじゃないだろうか
三田村 他方では試合でイヤな思いをしたこともあったそうだ。プロに面と向かって「お前ら、オレたちの職場を荒らすなよ」って言われた時もあった。アマチュアは予選を通過しても賞金をもらえない。今は決勝ラウンドに進んだアマの順位に応じた賞金は、次のプロに繰り下がる(アマが優勝した場合、優勝賞金を2位のプロが獲得する)が、昔はそうではなかった。2位のプロはあくまで2位の賞金しかもらえなかったんだ。だから「お前が上にいたから、賞金が少なくなったじゃないか!」と嫌味を言われたりね。

■ジャック・ニクラスとの再会 青木功にも愛された

―前回の連載で、中部さんがプロ転向を断念したきっかけのひとつがジャック・ニクラスにあったとお伝えしました。その後、再会はできたのでしょうか。

宮本 1973年に日本でニクラスのテレビマッチがあった。NHKが横浜カントリークラブでエキシビションを企画した。ニクラスはまだバリバリの超一流選手で彼を特集したものだったが、その相手を中部さんが務めたんだ。ニクラスは60台前半でプレーした。パーシモンのドライバー、糸巻きボールの時代だったから“ありえない”スコアだったよ。
三田村 中部さんも70前後で回ってきた。でもね…あの時、ニクラスは母校オハイオ州立大のフットボールの試合中継を、ラジオで聞きながらラウンドしたんだ。たまにイヤホンを耳に入れてね。僕は思わず「中部さん、ニクラスはラジオ聞きながらやってましたよ!」なんて言ったけれど、中部さんは怒らなかった。あとでもらった番組のビデオテープも大事に持っていた。やっぱりうれしかったと思うよ。

宮本 中部さんは同い年の青木さんにも愛された。「銀ちゃん」と呼ばれてね。当時、島田幸作プロに「失礼だから(公の場で)銀ちゃんなんていう呼び方はやめなさい!失礼だよ」なんて言われても、青木さんは「いいんだよ!オレと銀ちゃんの仲だ!」って返してね。そのやり取りも漫才みたいでおもしろかったな。
三田村 青木さんが海外の大会から帰ってきて、一緒にプロの試合に出た時があった。その時、中部さんは注意したそうなんだ。「青ちゃん、なんで下を向いてフェアウェイを歩くんだ。まっすぐ正面を見て。そういう姿勢は良くないよ」って。青木さんは疲労でヘトヘトだったんだけど、ピンと背筋を伸ばすようになったという。中部さんの話では、それが最初で最後のアドバイスだったと。
宮本 食道がんだった中部さんは59歳の若さで他界した。その晩年、青木さんが定期健診で行った病院で、偶然ふたりは会ったそうだ。VIPが乗る隠れた院内のエレベーターの中で…。中部さんは意識があったが、もうストレッチャーに寝ていた。青木さんは最後の最後まで銀ちゃんのことが大好きだったんだ。

青木功選手と尾崎将司選手とも面識があった中部さんには、中嶋常幸選手とも“因縁”がありました。実は連載のナビゲーターである三田村氏、宮本氏との出会いも中部さんにまつわるもので…。次回はミタさん、タクさんの初対面についても明かします。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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