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「エビアン選手権」日本と関わり深く

1994年にエビアンリゾートGC(フランス)で始まった「エビアン選手権」。欧州女子ツアー(LET)の試合として始まり、2000年からは米国女子ツアー(LPGA)と共催となった。

13年にメジャー大会“昇格”。21年から5年間、欧州最大級の資産運用会社「アムンディ」がタイトルスポンサーを務める。

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過去には小林浩美宮里藍が優勝しており、日本との関わりも深い大会と言える。開幕を前にこれまでの“つながり”を振り返った。

1997年 小林浩美

1997年大会では当時34歳の小林がイングランドのアリソン・ニコラスとのプレーオフを制して優勝。1ホール目でイーグルパットを沈めた。

優勝賞金は6万3750ユーロ(当時のレートで約730万円)だった。小林は現在、日本女子プロゴルフ協会(LPGA)の会長を務める。

2009年 宮里藍

2009年大会では宮里が米ツアー初優勝を挙げた。初日「69」でプレーし、8位発進すると、最終日は通算14アンダーでソフィー・グスタフソン(スウェーデン)と並んでホールアウト。プレーオフ1ホール目では1.5mのパーパットをしっかりと決めて優勝を手繰り寄せた。

「入った瞬間、いろんな思いがこみ上げてきて涙が出ました。自分で言うのもおかしいけど、人間として少し成長できたかな」と話した。

2010年 申ジエ

現在、日本ツアーを主戦場とする申ジエ(韓国)も優勝している。2010年大会の最終日を2打差2位から出ると、最終18番で3mのバーディパットを沈めるなど「67」でプレーし、通算14アンダーで逆転した。

6週前には盲腸の手術を受けていたが、底力を見せた。同シーズンの米ツアー初優勝を飾り、世界ランキング1位に返り咲いた。

2011年 宮里藍

宮里が2011年に大会2勝目を挙げた。2位に2打差をつけてスタートすると、4バーディ、2ボギーの「70」で回って通算15アンダーで逃げ切った。

大会の4カ月前には高校時代を過ごした仙台が東日本大震災で大きな被害を受けた。「日本に良いニュースを届けられた」と優勝スピーチで感極まって涙をこぼした。

2017年 宮里藍

宮里は2017年大会をもって現役から退いた。4カ月前の5月に同年限りの引退を発表していた。

大会は暴風雨などで初日がキャンセルされ、54ホール短縮競技となった。宮里は通算1オーバー32位で最後の試合を終えた。

「プロになって14年間、毎週プレッシャーの中で戦ってきたが、自分自身にお疲れさまと言いたい」と総括した。

また、これまでの功績をたたえられ、大会の生涯アンバサダーに任命された。

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