笑顔の裏で抱き続けた苦悩 宮里藍が引退を決めるまでの4年間
2017年 サントリーレディスオープンゴルフトーナメント
期間:06/08〜06/11 場所:六甲国際GC(兵庫)
宮里藍の引退で考えた「プロゴルファーの引き際」
現役のスポーツ選手には必ず向き合わなければならないテーマがあります。それは“引き際”です。宮里藍選手も先日の引退会見で、「昨年の夏にゆっくり考える時間ができ、整理をつけられた」と言っていましたが、確かにプロは常に“引き際”について頭に入れているものですし、遅かれ早かれ“結論”を出さなければなりません。
宮里藍選手は会見で引退の理由を「“モチベーション”の低下」と発言していました。モチベーションは波のように高くなったり低くなったりを繰り返します。そこには、選手の掲げる目標が大きく影響してきます。「年間〇勝」や「賞金王」「メジャー制覇」など目標はそれぞれですが、それがないとプレーに際して気持ちの整理が難しくなる。目標もなく、ただ漫然とプレーしているとモチベーションは低下していくはずです。
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高い夢と向き合わなければならなかった――という、結果を残してきた宮里藍選手のようなスター選手だからこその悩みもあったと思います。私の場合、日本ツアーで優勝するとか賞金王になるという挑戦的な目標は、遠い夢のまた夢で、年間1~2勝という目の前の目標でモチベーションを保っていました。そして、それを失った年に、引退宣言もなく現役を退きました。
選手寿命は人それぞれ。今回の宮里藍選手の決断には、彼女の戦いを長年見てきたうえで、驚きも不自然さもなく、ベストなタイミングでの引き際になる、という感想を持ちました。引退会見を開き、「まだできるのに…」と皆に惜しまれ、感謝されながら引退できるのは、プロの世界でもほんのひと握り。きっと選手冥利に尽きるだろうと想像しています。
もちろん、まだ彼女の現役生活が終わったわけではありません。最後と決めた今シーズン中に再び勝利をおさめ、あの笑顔をもう一度見たいと願っています。(解説・佐藤信人)
- 佐藤信人(さとう のぶひと)
- 1970年生まれ。ツアー通算9勝。千葉・薬園台高校卒業後、米国に渡り、陸軍士官学校を経てネバダ州立大学へ。93年に帰国してプロテストに一発合格。97年の「JCBクラシック仙台」で初優勝した。勝負強いパッティングを武器に2000年、02年と賞金王を争い、04年には欧州ツアーにも挑戦したが、その後はパッティングイップスに苦しんだ。11年の「日本オープン」では見事なカムバックで単独3位。近年はゴルフネットワークをはじめ、ゴルフ中継の解説者として活躍し、リオ五輪でも解説を務めた。16年から日本ゴルフツアー機構理事としてトーナメントセッティングにも携わる。