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三田村昌鳳が語る日本女子オープンゴルフ選手権競技(3)

世界に通じるレベルアップは「日本女子オープン」から

1974年。名神八日市での大会で、最終ホールのパー4が長くて、2打で乗せられる選手がいなかった。競技委員に選手たちがクレームをつけた。そのとき「乗らなくても寄せる技術があれば充分だろと言われた記憶がありますよ。そうやって、女子プロたちのレベルがアップして、いまに繋がってきているのだと思いますよ」と語った。

「ナショナルオープンに対する勝ちたいという情熱や願望は、選手にとっては、言葉に言い表すことのできないほどのものがあると思います」と樋口は言った。

その後、80年代には森口祐子、日蔭温子、ト阿玉、大迫たつ子岡本綾子、小林浩美へと時代が変わっていったのである。そして、不動裕理諸見里しのぶ宮里藍宮里美香へとつながっている。

日本女子オープンが、ナショナルオープンとしてグレードアップしてきた背景には、1977年に樋口久子が全米女子プロ選手権に優勝し、さらには岡本綾子が米女子ツアーで17勝。1987年には米女子ツアー賞金女王になったことがあると思う。世界に通用する選手を輩出するには、日本の最高レベルのフィールドにしたいという気持ちが強かったのだろう。

その証拠に、昨年の大会で優勝した宮里美香は「全米女子オープンよりも、難しいセッティング」だと語っている。彼女は「昨年の日本女子オープンの優勝が、今年の世界での活躍に繋がっている」と言った。確かに、彼女は今季、クラフトナビスコ選手権7位タイ、全米女子プロ選手権8位タイ、全米女子オープン5位、そして全英女子オープン14位タイと世界のメジャーで大活躍している。

「メジャー大会ほど、謙虚に、まっさらな気持ちでその舞台に立たなければいけないんですよね。今年は、それがある程度できたと思います」とも言っている。日本女子オープンは、紛れもなく日本の女子ゴルフの水準値を挙げるハードルとなっていたと思う。

樋口は「日本女子オープンという大会は、その当時から、いいコース、セッティングの素晴らしいコースでは、実力が、そのままスコアに反映するわけです。ラッキー、アンラッキーという不確実性が少ないし、正確なショットをすれば報われるわけです。いまではフェアウエイが狭い、グリーンが速くて硬いが、女子オープンの代名詞ですけど、やりがいがありましたねぇ。気持ちが、乗ってくるんですよ」と言っている。

グローバルスタンダート、世界水準という言葉があるけれど、文字通り日本女子オープンは、日本の女子ゴルフの水準を世界に押し上げた大会となっている。

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三田村昌鳳(みたむら・しょうほう)
1949年、神奈川県逗子市生まれ。『週刊アサヒゴルフ』副編集長を経てフリーのジャーナリストに。95年、米国でスポーツライター・ホールオブフェイムを受賞後、翌年には第1回ジョニウォーカー・ゴルフジャーナリスト・アウォード最優秀記事賞に選ばれる。翻訳・監修に『タイガー・ウッズ-伝説の序章』、著書に『伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち』など。また、日蓮宗の僧侶として自坊(神奈川県・逗子市の法勝寺)の副住職も兼ねる。

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