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三田村昌鳳が語る日本女子オープンゴルフ選手権競技(2)

2011/09/26 18:20


日本女子オープンはプロ53名とアマ80名で始まった

樋口久子が初めてゴルフ競技会に参加したのは、日本ジュニア選手権である。ほとんどは男子で女子は数名しかいなかった。彼女は、最下位だった。「女子が6人いてその6番目だったんですよ(笑)」。

それからまもなく、中村寅吉プロが所属していた川越カントリークラブに行った。「プロになるなら、来い」の一言だった。1967年秋に初めての女子プロテストが行われるまで、自分たちで定期的に研修会を開いていただけで、組織もあいまいだった。いってみれば、ゴルフ場や練習場で働く女子従業員が集まってコンペをやるという程度だった。だから先々もわからないままプロゴルファーを目指していたのである。

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その当時は、男子先輩プロたちからも「女がプロになってどうするんだ」と直接言われたこともあった。それまで研修会に出ていた25名が女子プロとして認知され、テスト合格者26名と合わせて51名が一期生になった。樋口もその一人に入った。無敵の女王として君臨していた樋口は「勝って当たり前と見られていた自分が、とてもプレッシャーになっていた」というほど、強かった。

そして第4回大会から日本ゴルフ協会が正式に主催する女子のナショナルオープンとなった。その記念すべき大会が昨年の大利根カントリークラブ西コースだった。そこで樋口は、2位の藩玉華に7打差付けて優勝し4連覇を遂げている。

「当時は、まだ女子プロゴルファーの人数も少なくて、女子ゴルファーというのは、まだまだ大衆化されていなかった時代。ですから、大利根の大会も、アマチュア選手が80名で、プロが、53名……それもあって、アマチュア選手には、負けたくないという気持ちが強かったですね(笑)」。

1970年から3日間大会となった。4日間72ホールの大会となったのは、1982年からである。優勝は、日蔭温子だった。樋口久子の圧勝は、1980年で止まった。13年間で通算8勝という快挙だった。

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三田村昌鳳(みたむら・しょうほう)
1949年、神奈川県逗子市生まれ。『週刊アサヒゴルフ』副編集長を経てフリーのジャーナリストに。95年、米国でスポーツライター・ホールオブフェイムを受賞後、翌年には第1回ジョニウォーカー・ゴルフジャーナリスト・アウォード最優秀記事賞に選ばれる。翻訳・監修に『タイガー・ウッズ-伝説の序章』、著書に『伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち』など。また、日蓮宗の僧侶として自坊(神奈川県・逗子市の法勝寺)の副住職も兼ねる。

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2011年 日本女子オープンゴルフ選手権競技




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