1999年の賞金女王 村口史子が現役引退を表明
2004/11/25 18:00
1990年代のアイドル選手として日本女子ゴルフ界を盛り上げ、99年には賞金女王になった村口史子が、所属事務所と自身のホームページを通じて「現役引退」を表明した。
村口は中学、高校とバレーボール部在籍。都内でOL生活を3ヵ月送ったが、性に合わないという理由で退職し千葉県のゴルフ場に研修生として入社した。今では、ジュニア時代にゴルフの経験があって、OL生活からプロの道を選択する選手もいるが、当時の村口は、練習場で空振りするほどの腕前だった。その後4年間の修行の末、1990年にプロテストに合格すると異色なプレーヤー、そして爽やかな笑顔で、ファンやメディアから注目される存在になった。
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デビュー翌年の91年にはサントリーレディスなど2勝。当時女子ゴルフ界でアイドル的な扱いを受ける選手は少なく、村口はテレビCMにも出演。ゴルフの成績は好不調の波があったが、97年にはリゾートトラストレディスに優勝し賞金ランキング7位。さらに99年には、新キャタピラ三菱レディースなどシーズン3勝を挙げ賞金女王に輝いた。ところが、そのシーズンの最終戦に腰を痛め、翌年から長い低迷が続いてしまった。
2002年には、94年以来のシード落ちを経験したが、03年には44位に入り再び一線に返り咲いた。そして、今シーズンも廣済堂レディスゴルフカップで4位にはいるなど、賞金ランキング39位に入っていた。
村口史子
「1990年にプロテストに合格して以来、皆さまのお力添えとご支援を賜り、プロゴルファーとして数々の素晴らしい経験をすることができましたことを心より感謝申し上げます。プロとしての15年の間には、日本国内のみならず、海外でもプレーする機会を得、優勝経験、賞金女王獲得など、本当に貴重な経験をさせていただきました。
様々なご意見はあろうかも知れませんが、私としてはこの15年間、精一杯やってきたことで、現役プレーヤーとしては完全燃焼したつもりでおります。よってここで第一線を退き、自分の競技生活にピリオドを打つことを決心いたしました。日本女子プロゴルフ協会には、すでに来年のシード権辞退もお伝えし、ご了承いただいております。
今後につきましては、まだ思案中ではありますが、時間をかけて自分のできることを考えていきたいと思っております。関係者の皆さまには、大変お世話になりありがとうございました。この場を借りまして、厚くお礼申し上げます」
2005年のシードに関しては、39位の村口が放棄したため、52位の中野晶が繰り上がることになっている。