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宮里優作×岩田寛×清田太一郎 同級生トーク
祝・賞金王! 宮里優作×岩田寛×清田太一郎 同級生トーク(前編)

学生時代、宮里優作清田太一郎は世代の頂点に君臨するスーパースターだった(詳しくは後編で)。ふたりは学生時代にナショナルチームの常連選手となり、海外でのプレーにも慣れ親しんだ。清田は2008年の欧州ツアー「ジョニーウォーカークラシック」で2位の成績を残す。一方、中学生になって本格的にゴルフを始めた岩田寛も早くから将来の渡米を志し、2015年にはPGAツアーのメンバーとなって2シーズンを戦った。宮里は来たる2018年に多くの時間を国外で過ごすことが見込まれる。彼らの成長をうながした海の向こうへの思いとは。

宮里 僕と太一郎はプロのデビュー戦が、米ツアー「ソニーオープンinハワイ」だった。太一郎が大学の時に「全米アマチュア選手権」に行ったりして、いいなあ…出たいなあ…って(※清田は2001年の全米アマで当時の日本勢最高位のベスト8入り)。米ツアーへの思いは早いうちからあった。プロ1年目は夏場までに日本のシードを取れたから、すぐにアメリカに行って予選会を。
岩田 あの頃(清田のように)全米アマに出る日本人なんてほとんどいなかった。
清田 でも、僕は実は優作くんと真逆の感じ方をしていた。今だから言えますけど、全米アマに出た大学時代、ゴルフの調子が悪くて、日本の試合に出ても優作に勝てる気がしなかった。それが(海外)挑戦のきっかけになったんです。人と違ったことをするのも好きなんで。だから、決して自信があって行ったわけじゃないんだ。PGAツアーに出た時、「ただ者のレベルじゃない」と思った。
宮里 太一郎は「全米オープン」(2002年)にもアマチュアで出場していた。
清田 「全米オープン」も忘れたいくらい、苦しかった記憶。初日が終わったら、ストレスで体にじんましんが出て、3kgくらい痩せていた。
岩田 当時「自分がショートアイアンで打ってもグリーンをこぼれたのに、タイガーが5番アイアンで乗せていた」って、言ってたなあ。
宮里 「へ?」ってなるね。ちょうどパワーゲームの走りだった。飛ばなきゃダメ、みたいに。でもオレは「みんなヘンテコなスイングなのに、ショートゲームがうまいなあ」という印象だった。それで、自分と比べてしまったところがあった。スコアをまとめて、(ボールの転がりが不規則な)ポアナ芝のグリーンでも平気で入れてくる。当時、米ツアーの予選会でケビン・ナと一緒に回ったんだ。そうしたら仲良くなっちゃって、一緒に夕食もして。ケビンに「お前の2番アイアンが欲しい」って言われて、1本余っていたからあげたのを覚えてる。ケビンは飛ばないのに、すっげえうまかった。それでもやれるんだなあ…と思った。

―岩田選手は3人のうちで、最初にPGAツアーのカードを手にしました。
宮里 びっくりしました。すごい挑戦だなあと思って。いいなあと、うらやましく思った。
清田 僕は昔、寛と一緒に江連さん(江連忠コーチ)のところにいた時期があったんで。当時、向こうに行きたいような思いをちらっと聞いた。渡米の2年くらい前だったかな…。寛は“ちゃらんぽらん”に見えて、意外とやるんですよ。すんごい、ちゃらんぽらんに見えるけれど。
岩田 ……ちょっと、飲み物を飲みます(照れ)
清田 すごいなあと。でも(岩田は)本気で目指していたので、絶対に行けると思っていた。
岩田 2008年に初めて米ツアーのQTを受けて、ジェイソン・デイ(オーストラリア)と回った。それがいまや元世界ランク1位。ムカつきません? スイングは今とあまり変わってなかった。「センスあるなあ」と思ってました。今思えば、学生時代、太一郎が全米アマに行った年に、ずっとアメリカの話を聞いていた。僕はずっと興味があったんでしょうね。
宮里 太一郎や僕は、ナショナルチームでジュニアのころからけっこう海外に行った。小学校の時に太一郎は日本でトレバー・イメルマン(南アフリカ)と争ったこともある。国別対抗戦でジャスティン・ローズ(イングランド)と一緒に試合に出たり。僕らの世代は、そういうことを繰り返して、夢が膨らんだんだと思います。

<後編へ>

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