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とあるベテランアイスランド人ゴルファーによる初勝利の話
人口わずか30万人のアイスランドが、ヨーロピアンチャレンジツアーの王者を輩出する可能性はかなり低いわけだが、ビルギル・ハフソールソンは2017年に同ツアーで勝利を挙げると、翌年はヨーロピアンゴルフチーム選手権を制覇して母国に栄冠をもたらしたのである。
プロとして20年間、成功と無縁だったハフソールソンが体調不良のまま「コードンゴルフオープン」の試合会場に到着した際、無勝利の期間が終わろうとしている兆しは皆無だった。
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体調不良により練習ラウンドでプレーできなかったのだが、以前にコースをプレーしたことはあったので、木曜の朝にティアップする際の心の準備はできていた。
当時41歳だったハフソールソンは最初の3日間で出色のプレーを披露し、通算18アンダーまで達すると、驚くべきことに最終日はショットを1打も打たずにトロフィーを手にしたのである。第4ラウンド開始直後の豪雨により、コースが水浸しとなったことで、大会は54ホールに短縮されたのだった。
第3ラウンドを終えて7打差のリードを築いていたハフソールソンによる説得力のある勝利を妬む者はいなかったが、彼は複雑な心境を経験したことを認めた。
「大会前から体調不良で、スタミナの具合は低く、期待値は高くなかった」とハフソールソン。「でも、蓋を開けてみると好調で、期待値も上がり、気分もかなり良くなった。とても楽しんだよ。あの場所が好きなんだ。僕と妻にとって、あの場所はリラックスし、エンジョイしてゴルフを何ラウンドかするのにちょうど良いところなんだ」
「第3ラウンドでも良いプレーをすると、翌日は荒天の予報が出ていたので、何人かの選手は早くも僕を祝福してくれさえしたんだ」
「そんな状況で眠りにつくのは何となく奇妙な感じだった。複雑な心境だったね。というのも、僕はアイスランドでは何度も優勝していて、18番で最後のパットを沈めたときに浸れる大会を優勝した時の最高の心持ちが如何に特別なものであるかを知っていたから」
同胞と喜びを分かち合ったこの勝利は、彼の母国アイスランドにとって重要な意味を持つ1勝となった。
「あれはアイスランドにとって、とてつもなく大きかった」とハフソールソン。「それまで誰も勝ったことがなかった最大のタイトルだった。かなりメディアの注目も集めたし、ゴルフがとてもポピュラーになった。これから出てくるプロにとっても、それが可能であるということを示せた大きな意味を持つ勝利となった」
「男子では、ノルディックリーグに新進気鋭の才能ある若手が出てきていて、彼らは大会で勝ち始めており、年間王者にもなっているから、僕の勝利が皆の起爆剤になればと思う」
「僕の年齢になると、若手がどんどん出始めてくるようになる。これは僕にとって、コンディションを維持して良いプレーを続けよという目覚ましコールのようなものとなり、これにより初勝利を果たすことができたんだ」
ハフソールソンはその翌年、スコットランドで開催されたマルチスポーツの欧州選手権第1回大会のゴルフ部門である「ヨーロピアンゴルフチーム選手権」でも、アイスランドに歓喜をもたらした。
彼は同胞のアクセル・ボアソン、バルディス・ソーア・ジョンスドッティル、そしてオラフィア・クリスティンドッティルとチームを組み、グレンイーグルスのPGAセンテナリーコースで開催された男女混合大会で金メダルを獲得したのである。その後、ハフソールソンとボアソンは男子の部で銀メダルを獲得したのだが、これは男女のプロがフィールドの半々に分かれ、同額の賞金を懸けて競う革新的な大会だった。