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パーフェクト・タイ(完璧な引き分け)

12名の米国選手、キャプテン、副キャプテン、キャディ、夫人、恋人、子供、その他多くの親戚が世界の果てにあるファンコートで開催されるプレジデンツカップのために訪問した。その試合の結果は正直言って、まったく何もない。しかし、南アフリカにとって、4日間の試合を見た方々にとって、それは生涯忘れることのない4日間となっただろう。 11月23日、総数24名の選手で合計34試合行ったが、勝者はいなかった。しかし大きく見れば、参加者全員が勝者となったとも言える。

パーフェクト・クラブや「パーフェクト・ストーム」が存在するのなら、パーフェクト・タイ(完璧な引き分け)があっても良いのではないだろうか。ルール通りに行う場合、試合を17で引き分けとするなど考えられないことである。しかし、疲労した2つのチームとともに、タイガー・ウッズアーニー・エルスの勝負を目前にした誰もが、この引き分けという判断が正しいと思うだろう。 完璧な引き分け。ウッズまでもが「完璧な判断だ。この試合に敗者があってはならない」と、プレーオフ後、両手をまだ震えさせながら、同意した。

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あなたはおそらく、ゴルフのルールも甘くなったと感じるかもしれない。尊大に構えるライダーカップの兄弟トーナメントとして並ぶには、プレジデンツカップが温和で判定も不明瞭だと思うかもしれない。しかし、試合のすべてが勝者と敗者を区別するだけのものではない。もちろん、ヘロルド湾から10分の自宅に住むエルス、そしてサファリも体験しようとこの国を訪問したウッズは、数百人の観客の前で勝負を決めようという意気込みで月曜日に顔を合わせた。

しかし、この試合は最終スコア以上の結果を出した。今までにない「共通感覚」がこの試合参加者の中で漂った。アメリカのキャプテンを務めるジャック・ニクラスが、2つのチームの間で優勝カップを2年間分け合うことを提案し(通常引き分けの場合はディフェンディング・チャンピオンであるアメリカが持ち帰ることになる)、同僚の伝説的なゴルファーで、今回インターナショナルのキャプテンを務めたゲイリー・プレイヤーもその提案に同意した。ニクラスは自ら提案したことの重大性を理解している。1969年、ロイヤル・バークデールで開催されたライダーカップで、イギリスを代表するトニー・ジャクリンに1.2メートルのパットを譲り、引き分けでホールを終了した話は、賛否両論であった。

「この決断について動揺する人もいるだろう。1969年の時のように不満に思うかもしれない。しかし、私もゲイリーも、この判断が正しく、そして両チームが適切であったと感じていると私たちは確信している」とニクラスは語った。このイベントはバーディやボギーなどのスコア以上に、24名の世界的な選手そして二人の伝説的な選手が集まり、ゴルフ場での競争心そして友情を披露し祝う機会となった。フロリダ州オーランドで近所同士のクリス・ディマルコとオーストラリア出身のスチュアート・アップルビーは18ホールを全力で戦い、ディマルコの勝利となった。その後、二人は並んでプレーオフを観戦した。このような光景をライダーカップで見ることはできない。

民主主義を達成してまだ間もないこの国で、ゴルフは社会的地位を誇示するための手段とされてきた。世界平和の象徴とも言われているネルソン・マンデラによると、「スポーツにより政治家でも成し遂げられないことを達成することが可能である」と言う。 南アフリカ・ゴルフ開発委員会の下でゴルフを習得する14歳のアフリカ人、ムシワロ・ネスンズィにとってプレジデント・カップは彼の遠い夢を目前にする機会となった。ウッズにキャップにサインをしてもらい、そして彼と彼の友人21名が試合のゲストとして練習日に近距離で選手を観察することができた。

長い間、人口のわずか10%を占める白人により統治されていた国で育ったネスンズィにとって、有色人種であるウッズとヴィジェイ・シンの対戦を観戦するだけでなく、またそのレフリーが南アフリカ出身のテオ・マンヤマであったことも、非常に意義深い経験となった。「彼らの状況により自分達のことを考えていられない子供たちもいる」と開発委員会の代表者であるマーリ・ウェッセルは言う。この3年間、開発委員会は南アフリカで環境の最も厳しいとされる地域から約4000人の若者を援助してきた。

「ウッズを見て、彼らを自分たちに例えることができる。彼は黒人であり、そしてそれは子供たちにとって、非常に意味のあること。自分たちも出来る、自分達もお手本になろうと考えるようになる」と彼女は語る。

試合後、子供たちはバスの中で集まり、傘や棒などゴルフクラブの変わりとなるあらゆる物を使って、ウッズ、エルス、ジム・フューリックと同じようにスウィングをして見せ合った。ネスンズィのグループには、貧困地域からでたこともない子供たちや1日3食を与えられていない子供たち、海を見た事がない、ホテルに泊まったことがない子供たちもいる。彼等はプラスチックのカードキーでドアが開くのを、驚きながら見ていた。ネスンズィは恥かしそうに微笑みながら、ゴルフによってこのように多くの扉が開けばいいと、希望を語った。

土曜日に、16番ホールでウッズがカートの石道から2番アイアンで素晴らしいショットを打ったとき、それをネスンズィは数ヤード離れた場所で観察していた。「私もいつかあのようになりたい。ゴルフでいろんな所へ行けるから」と静かに呟いた。

南アフリカでプレジデンツカップを開催する役割の一部分として、PGAツアーは皆が忘れられない思い出を残していきたいと考えた。これらの試合を観戦した誰もが、このイベントを忘れることはないだろう。選手は120万ランド(約17万ドル)を南アフリカ開発委員会に貢献し、南アフリカのサンシャイン・ツアーの委員長を務めるヨハン・ルパートも同じく貢献した。小規模かもしれないが、これは大きな第一歩となるだろう。

日曜日の午後、プレーオフや2番のグリーンでの熱狂的な対戦の中、プレイヤーは自分のチームに今年のプレジデンツカップを分け合うというニクラスの提案を伝えた。その問いかけにロバート・アレンビーは「皆が勝者ってことだろう?」というと、答えはイエス。全員が同時にうなずいた。試合は引き分け、そして全員が勝者、つまり『パーフェクト・タイ』となった。

Golfweek

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