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各国ジュニアの変わったものと、変わらないもの 日本人通訳の証言
2015/06/18 17:50
1992年に第1回大会が行われ、すでに四半世紀近くの歴史を持つ「トヨタジュニアゴルフワールドカップ」。これまで、世界中から数多くの国と地域の選手たちが、はるばる日本へとやってきている。約1週間の日本滞在中、彼らはどのように過ごしているのか。そして、この年月のなかで、選手たちの特徴に何か変化はあるのだろうか。運営事務局で主にスペイン語の通訳として大会に携わっている河合卓子さんにお話をうかがった。
河合さんが大会に初めて関わったのが99年。当時から日本に到着した時点で、都会のビル群や街中を目にして、ことさら驚くような選手は、ほとんどいない。ただし彼らも、日本人にとっては、どうということもない風景に反応することがあるという。
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「この大会はちょうど、田植えの後の時期。緑になった田んぼを見て、みんながいっせいに写真を撮っていたというのは、記憶にありますね。『すごく美しい』と。日本らしい、整理整頓された感じがするからのようですね」
移動のバスのなかでは、依然は「バスのなかでみんなで踊ったり、大騒ぎしたりということもありました」という。「監督やコーチも一緒になったりして。やはり、ラテン系のチームに多かったですね。あまりにひどいときは、『ちょっと静かにしなさい』と怒ったりもしました(笑)」
だが、ここ数年で社内の様子は劇的に変わった。「座席に座ったら、みんなすぐ手元に目をやります。スマホ。どこの国の子もそう」。携帯電話、スマートフォンの爆発的な普及。時代を反映する変わり様なのである。
ここ数年でそれぞれの国の選手が「おとなしくなった」印象を持っている河合さん。彼ら、彼女らをサポートする内容の変化からも、時代の流れを感じ取ることができるという。
選手たちの宿泊先は現在、名古屋市内のホテルとなっている。都市部では外国人の対応にも普段から慣れており、スムースに事が運ぶが、これまでは必ずしもそうではなかった。
「2005年から愛知県で大会が行われていますが、その前は兵庫県や鳥取県などでも開催していて、周りに何もないようなホテルのときもありました。ホテルの人も、スペイン語はもちろん、英語もまったくしゃべれなくて…。何か選手から頼まれたら、何でも通訳するというのを、ずっとやっていましたね。いちばん大変だったのは国際電話。電話会社が違う関係からか、同じテレフォンカードを使っても、国によって使えなかったりしたんです。だから最初のころは、ホテルに帰ると国際電話の対応に追われていました」
そういう土地であれば当然、選手たちが時間を持て余すのも無理はない。「買い物に出るところもなく、ホテルだけの生活ですから、ストレスも溜まります。卓球ルームをつくってもらったりもしたのですが、ラケットやボールは、もう帰るころにはボロボロでした(笑)。『マクドナルドに行きたい』というのも、よく言われましたね」
だが、いまも昔も変わらないものがある。「みんなゴルフが大好き」という芯の部分だ。
日本食が口に合わない国の選手もいたかもしれない。だが「ピザとか、何かを食べたいと言われることはありますが、とくに何か困るといったことはないですよ。今回もみんな、お寿司を楽しみにしていましたね。ワサビにも挑戦したり」と、世界大会に出場する多くのジュニアは実に前向きだ。
「みんなやっぱりゴルフに対して真剣で、観光半分みたいな気持ちの国はないですよ。全然知らない私に対して、自分のゴルフに対する思いを熱く語ってきたりすることもあって、そういう姿勢はすごく印象に残りますし、『ああ、応援したい』と心から思いますね」