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<難しい、プロの引き際・・・ラ・ボンバの異名を取ったあの選手も立たされている岐路>

2014/03/23 20:10

ガッツあふれるプレーでプロの中にさえファンがいた今井克宗が“引退”をほのめかしている。

今井は、1999年のファイナルQTで42位となり、翌年、試合出場機会は少なかったものの、着実に賞金を稼ぎ、70位で初シードを獲得した。それまで今井は3回プロテストに挑戦していたが、合格を果たせずトーナメント出場の資格を得ることができなかったのだ。

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しかし、1999年からプロテスト合格者でなくても、一定の条件を満たせばQTを受けられ、その成績次第で試合に出られることになった。今井は新制度の恩恵を真っ先に受けたプロでもあった。当時のシード選手は、全員がプロテスト合格者であったが、今井はただひとりプロ資格のないシード選手として話題になったものだ。

今井の父はゴルフクラブの工房を営み、小さいころから身近にゴルフ環境があったものの、中学ではバレーボール、高校ではラグビーに夢中になっていた。法政大に進学してからはテニスサークルに入り、ゴルフとは距離を置いていた。しかし、先輩の勧めでプロゴルファーを目指す決意をすると、大学を中退して研修生になった。前述したようにプロテストに3回失敗したが、QT制度で表舞台に立てるようになったのだ。

2003年にカシオワールド、2004年にコカ・コーラ東海クラシックで優勝。トッププロへの道を歩き出したのだが、2007年にシードを落としてしまった。その後、復帰を試みるも持病の腰痛が足を引っ張る。

「ゴルフをすると腰が持たないんです。今はゴルフ関連の事業を立ち上げようと準備中です。ゴルフのイベントとかゴルフ旅行のコーディネイトとか、いろいろやろうと思っています」と今井は新事業の構想を練っている真っ最中だ。

そんな訳で、あまり練習はしていないが、ジャンボ尾崎の家には折を見て顔を出すと言う。先日訪れたときにジャンボから東建ホームメイトカップへの推薦出場を打診されたそうだ。出場はまだ決定ではないが、出られれば昨年の日本プロ選手権以来のツアー出場になる。もちろん今井本人はやる気満々なのだが、冗談とも本気ともちょっと気になる一言が。

「東建を僕の引退試合にしようと思っています」と言うのだ。

“ラ・ボンバ”の愛称で親しまれ、酒豪で豪放磊落。かつて原口哲也に、「今井克宗とはどんな人物?」と尋ねたときに、即座に返って来た答えが、「男っすよ!」だった。

引退なんて言わないで、早く腰を治して、またガッツあふれるプレーをまた見せて欲しいものだがそんな今井がシード入りした年に、ゴルフシーンから消えた男もいる。サントリーオープンやANAオープンなどツアー4勝(その他5勝)を挙げた泉川ピートだ。オールドファンならその端正で精悍なその顔つきを覚えていることだろう。2000年に泉川が出場した試合は、当時シーズン最終戦だったファンケル沖縄オープンの1試合のみ。それも2ラウンドのスタート前に棄権している。それを最後に試合で泉川を見ることがなくなった。

「腰痛でどうにもならなくなって、プロゴルファーを辞めました。ゴルフ界に未練が残らないように、プロゴルフ協会も退会しました。もう15年前のことです」(泉川)と退路を断ってのビジネス界への転身だった。

「数年前にはロスでも事業を始めました」と実業家としての道は順調な様子だ。ゴルフとのかかわりは、中学3年の息子が繋いでいる。

「まだ駆け出しですけど、ジュニアの大会で優勝もしているんですよ」と泉川は息子に視線を向けて目を細める。今井と同様に泉川もガッツあふれるプレーが売りの選手だった。年齢的には、もうシニア。しかし退路を断った今では、もはや勇姿は見られない。ゴルフは他スポーツよりも、息が長いと言われるが“生涯現役”などは、限られた選手だけの夢のまた夢なのか・・・。ジャパンゴルフツアーの開幕を目前に、プロゴルフの世界もひきこもごもという、ちょっぴり切ないお話である。

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