東日本大震災でゴルフを始めた倉林紅が初V 「たくさんの方に夢や感動を」
◇国内女子◇資生堂・JALレディスオープン 最終日(5日)◇戸塚CC東C(神奈川)◇6487yd(パー72)◇曇り(観衆4275人)
2011年3月11日、東日本大震災が発生した。宮城県富谷市出身の倉林紅とその家族は、津波こそ免れたものの、家にひびが入る被害を受けた。日本中が夢や希望を見失っていたあの頃、倉林の未来に光を投げたのは両親だった。「これをきっかけに、なにか夢を持って、新しいことに挑戦していこう」。6才の女の子はゴルフと出会った。
はじめは4歳上の兄、太聖さんと遊び感覚でコースに行っていた。それでも中学生時代に「東北中学校ゴルフ選手権」3連覇を達成。「東北ジュニアゴルフ選手権」でも3勝(19、22、23年)を果たした。25年には男子海外メジャー「マスターズ」の舞台オーガスタナショナルGC(ジョージア州)で行われた「オーガスタナショナル女子アマ」に初出場を果たし、同年のプロテストに3度目の挑戦で合格。最終予選会を1位通過し、目標だったレギュラーツアーでのプレーをかなえた。
しかし、そこは勝負の世界。良いときがあれば、悪いときもある。日々の支えが両親の存在だ。倉林にとって、母・愛さんはありのままでいられる良き相談相手。「前週まではずっと母が帯同してくれていた。全部を吐き出して、受け止めてくれる存在。ゴルフはいまだにルールも曖昧だから、逆に良いところだけを覚えていてくれる」。夕食の席でもらう前向きな言葉に何度も励まされてきた。
一方、父の大作さんは今週まで“帯同NG”を受けていたという。「私が『パパは嫌だ!』って(笑)。きっと、父は嫌われないように必死の1週間だったと思います」と21歳の娘は朗らかに笑う。
人材育成の仕事をする大作さんに学んだのが、自分にポジティブな暗示をかけるアファメーション。「『私は絶対にできる、今の自分に満足する私じゃない、もっとすごい自分を見せてやる』って。マイナスな気持ちのときは心の中で言うようにしている」。今週も何度も、何度も唱えた。
通算12アンダーで正規のラウンドを終えた倉林は悔し泣きした。しかし、後続のスコアが伸び悩んだことで試合はツアー史上最多7人によるプレーオフに突入。大勝負に乗り出す娘の背中を、父はひと言で押した。「やってこい」
宮城県勢初のツアー優勝者となった。「プロになってから、地元の皆さんにもすごく期待してもらっていた。実際に果たすことができてうれしい」。倉林には夢がある。「小さいころから、たくさんの方に夢や感動を与えられるプレーヤーになりたかった。見た人に感動を届けるプレーがしたい」。震災から15年が経ったことし、瓦礫の街から立ち上がった一本の芽が、大きな花を咲かせた。(横浜市旭区/合田拓斗)