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原英莉花の挫折と飛躍 「だから、みんなよりも一歩遅い」

師匠を彷彿させる…というと、本人は恐縮するに違いない。それでも、威風堂々とフェアウェイを闊歩する姿や、喜びや悔しさ、怒りまで表現する派手なパフォーマンス、なによりメジャー大会2連勝で証明した大舞台での勝負強さは、“レジェンド級”の大器を感じさせるに十分だ。

原英莉花、21歳。泥沼から飛び立とうとする白鳥のように、地味だったジュニア時代を経て、いままさに世界に向けて翼を広げる。コロナ禍に翻弄された人々が新しい希望を託す2021年シーズンを前にして、その思いを聞いた。

■小4で胸に刻んだ「うん」の返事

「他の人にあまり興味がないんです」とちょっぴり申し訳なさそうに原は言う。「でも、自分にすごい興味があるわけでもない。まだ、自分で自分のことがよく分からないけど、趣味もないし、興味もない。ゴルフですか?ゴルフはハマったら長いんで、その延長でハマっちゃっているだけだと思います。結構飽きやすいんですけど、なんでゴルフは飽きないんですかね?」

そこまで言うと、ひと息おいてそっと続けた。「まあ、わかっているんですけどね。子供の頃、やめないって言っちゃったから、これはもう“やめないルート”が続いているんだと思います」

運動神経抜群だった兄について、テニスや卓球、野球にも手を出した幼少期。「だけど、ぜんぶ当たらなかった。走るのも苦手で…」と落ち込みかけていた小4のとき、ゴルフに出合った。

「最初は楽しかったけど、ぜんぜん上手くならなかった。でも、親に『プロになるの?』って聞かれて『うん』って言ったんです。それから始まっちゃっていて…」。当時はプロゴルファーのイメージすら持ち合わせていなかった。「“やり続ける”みたいな意味」だと思っていたが、自分の言葉を裏切ることは一度もなかった。「刻まれちゃっているかのように、そこからひたすらやっていました。運動神経もないのに、よく親もそういう話をしましたよね(笑)」

あまりテレビを見なかったという原が、初めて本物のプロに触れたのは2008年の「CAT Ladies」。自宅から近かったこともあり、「これがプロの世界だよ」と親に連れられて行った大箱根CCで、上田桃子のプレーに釘付けになった。「(横峯)さくらさんと戦っているのがかっこよすぎて、自分の中で気が引き締まった感じでした。桃子さんには『試合を見たことがあります』とは言いましたけど、あまり人には言っていないんです」と打ち明ける。いまでは、憧れの上田と同じメーカーのウェアを来て、同じ舞台で戦っている。「すごいですよね。自分でもちょっとびっくりしちゃいます」。小4で誓った言葉は、少女を立派なプロゴルファーに変貌させた。

■ちゃんと届いているのかな?

原はプロスポーツを「実力がすべてだけど、プラスしてエンターテイメント。自分を表現して、戦う姿を魅せる仕事」と定義する。ギャラリーに応援されると「こんなプレーでも見に来てくれる人がいるんだから頑張らなくちゃ」と気持ちも高まる。だから当然、コロナ禍で無観客となった20年シーズンには戸惑いも抱えていた。

「コンペみたいな感じだけど、テレビ越しで見てくれているギャラリーさんもいて、そういうところが難しかった。見てくれていても、こっちには分からない。自分のプレーが届いているっていう感じがしなかったです」と現場での反応の薄さに慣れなかった。「でも、SNSに投稿すると想像以上にコメントが凄かった。応援してくれる人は変わらず応援してくれているっていうのを、改めて感じる機会ではありました」

国内最終戦となった「JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ」は、4日間首位を守る完全優勝で、「日本女子オープン」に続く公式戦2連勝を達成した。両大会とも決勝ラウンドは(※リコーカップは大会を通じて)2サムのペアリング。原は2サムが「“超絶”得意です」と即答した。「…たぶん(笑)」と付け加えたが、自信満々であることは否定しない。

「やっぱり目の前の人に負けることほど悔しいものはないじゃないですか。それに、プレーペースも好きなのかな」。ツアー初優勝を飾った19年「リゾートトラストレディス」もペ・ソンウとのプレーオフを制したもので、「負ける気はしなかったけど、逆に3人だったら分からなかった」と回想する。狙う獲物が明確になればなるほど、集中力も研ぎ澄まされていくようだ。

集中力が高まるとき、不思議な身体的変化も伴っている。「日本女子オープン」の最終日前夜、トレーナーにケアをしてもらっている原に、そんな異変が起きていた。「いろんなことが頭の中を駆け巡って、いつもなら寝ちゃうのに寝られなくて、いろいろしゃべっていたんです。あまり覚えていないけど、なんかやばいです!脳みそが揺れています!!って(笑)」

だが、それに続いたトレーナーの言葉で我に返った。「初優勝のときも、同じことを言ってましたよ」

「それで、『なんだ、この気持ちは関係ないんだ』って割り切れました。トレーナーのひと言は大きかった。リコーカップの3日目が終わったときも同じになって、『頭の中がやばいです!』って言ったら、『また同じことを言ってます』って…」

宮崎での最終日は、3打差の単独首位で迎えた最終18番で異変を感じた。「めっちゃ急に手が冷たくなって震えていて、自分にはない経験でびっくりしました」と原は言う。だが、身体の異変は集中力で克服した。いや、もしかしたら高い集中力を補うために、身体がその事前準備をしていたのかもしれない。「すっごい不安で、すっごい集中したらまっすぐ行ったので、ニコッとしちゃいました」というティショット後の笑みは、そんな理由を含んでいた。

思い返すと、前夜も布団の中で「終始、身体が冷たかった」という。初日から首位だったが、3日目の夜まではなかったことだ。「不思議じゃないですか?気持ちだけで、体温がこんなに下がるって!?」。だが、似たような話は少なくない。たとえば将棋の羽生善治は、終盤で勝ち筋を読み切ると、それまでの緊張が弛緩に変わって駒を持つ手が震え出す。相手にとっては自身の敗北を知らせる恐ろしい予兆だが、これも精神と身体のつながりを示す一例だ。

■だから、みんなよりも一歩遅い

海外メジャー初挑戦となった「全米女子オープン」が20年の自身最終戦だった。国内渡米組で誰よりも早く乗り込んだ気合いとは裏腹に、結果はあえなく通算19オーバー、152位で予選落ち。惨敗だった。

「結構凹みましたけど、やっぱり向こうのツアーには、向こうにしかないものがある。たとえば、芝。でも、そっちで戦うと決めたら、ぜんぶシフトチェンジできるっていう開き直りはありました」と受け止めた。明確になった課題の一つはアイアンだ。

「国内で連戦だったこともあって、簡単に高さを出せて、簡単に距離を出せるクラブに頼ってしまって、芝に対応できなかった。イレギュラーなラフや硬いフェアウェイで、しっかりとコントロールした距離、フライヤーも自分で考えられる範囲内のミスをしていかないと戦えない。もっと難しいというか、ソールの薄いクラブに変えないといけないです」

21年は国内ツアーを戦いながら、海外仕様にクラブを整えていくつもりだという。「QT挑戦も頭にあるし、そのときにつまずくようなクラブでは戦えない。ミズノさんとも相談して、試行錯誤してやっていこうと思っています」。厳しい洗礼の一つひとつが、より強くなるための栄養へと昇華していく。

良い意味で打たれ強い。自身のキャリアを振り返ると、失敗のあと、それを倍返しするような成功を繰り返している。「私もそう思っていて…。なんか初めてのものって、だいたい派手にくじけるか、どうしたの!?っていうくらい極端に良いかの2択なんです」。たとえば、プロテストに落ちた翌年に、下部ステップアップツアーで2勝して、2度目のプロテスト合格から新人戦V。19年の初優勝前には、オーストラリアで初参戦した米ツアーで予選落ちして「身の程知らずでした」と打ちのめされた。

「できれば失敗はしたくない。それがあるから、みんなより一歩遅いのかなって思います。一年とか一回は棒に振っているじゃないですか。それを取り返せるような成績じゃないと、私はただの大怪我する人で終わっちゃう。だから、時間を無駄にしないように、日々成長するようにしていきたい。同じ失敗を繰り返していたら、年齢的にも終わっちゃうので」

“みんな”の中には、初挑戦で海外メジャーをつかみ取ったツワモノもいる。だが、“みんな”には敵わなくても、得意の“1対1”で一人ずつ追い抜いていけばいい。「今回は課題に直面し過ぎて、これは一生かかってでも克服しなきゃいけない。もー、やるぞ!やるぞ!って感じです。脳、揺れましたね(笑)」。アメリカから帰国して、昨年12月29日にようやく14日間の自主隔離が終わったばかり。溜め込んだモチベーションは、新年の寒空の下で発散する。(編集部・今岡涼太)

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