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華麗なる平成初期女子プロの世界

2024/11/09 05:00

1992年のプロテストは、3日間54ホールで通算12オーバー以内のストロークが合格ラインだった。合格者は26人。その中に福嶋晃子はいた。一発合格の鳴物入りでプロゴルファーにはなったものの、勝つ自信はまだなかった。アマチュアの頃から師匠である林由郎の紹介で樋口久子とはすでに顔見知りで、岡本綾子とも共通の知人を介してつながりがあった。それだけに、プロでやっていく厳しさは理解していた。当時は選手一人ひとりがキャディを帯同するのではなく、一組に1人ハウスキャディが付くだけだった。そのため、練習ラウンドで自らコースを歩測し、手製のメモをホールごとに作成した。風や芝目の特徴は先輩プロに聞きに行った。選手みんなで情報を共有し合った時代だった。また、当時のギアはまだまだ難しいものが多かった。技術やコツで球を操る先輩が多く、目で見て時には直接学んで腕を磨いた。


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その時代の選手はゴルフがうまく礼儀に厳しく、そして優しかった。アマチュアの頃とはまるで違うプロの環境があり、その中でもまれた福嶋はさらに強くなっていった。プロ2年目の1993年12月に開催された後援競技(※レギュラーツアーではない)プロ初優勝を遂げたことが転機になったと福嶋は振り返る。「自分もレギュラーツアーで勝てるかもしれない」という自信が湧いてきた。その感覚を信じてオフに”勝つためのゴルフ”に集中した結果、94年開幕戦のダイキンオーキッドレディスで見事優勝を果たす。



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