4年で地球18周分 旅人ゴルファー・川村昌弘の足跡【アジア・アフリカ編】
「予選落ちでもお金がもらえた」コロナ禍の欧州ツアー行脚 川村昌弘は自分の声とともに
新型コロナウイルス禍で試合中止や延期が相次いだ2020年。日本の男子プロで、世界ランク対象試合にもっとも多く出場したのは欧州ツアーで戦う川村昌弘だった。米国が主な小斉平優和の22試合、松山英樹の21試合を上回る計23試合。7月のシーズン再開後は5カ月にわたる遠征を経て、ポイントランク(レース・トゥ・ドバイ)38位で終了。混乱期にツアーの手厚いサポートを実感しながら、ゴルファーとしては自分の“声”と対話する貴重な時間になった。
■コロナ禍の欧州ツアー
年間30カ国以上の国と地域で大会を行う欧州ツアーにとって、コロナ禍の序盤はまさにその“グローバリズム”こそが仇になった。感染状況、国境の水際作戦も国によって違う。現にアジアンツアーはシーズン中断後1試合も開催できず、日本の男子ツアーも海外勢がシード選手の多くを占めるという大義から、予定していた試合数の約4分の1にとどまった。
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そんな中、欧州ツアーは7月、国際間の移動リスクを軽減するべく英国で6連戦を設定してシーズンを再開させた。最終戦までの5カ月弱で、試合がなかったのは11月「マスターズ」の週だけ。川村には当初、連戦が一区切りになる10月にも一時帰国をするプランもあったが、「キプロスや南アフリカで新しく大会ができたので帰りませんでした」。結果的に、世界を巡る旅人ゴルファーにとって、日本をもっとも長く離れる機会になった。
「賞金額は決して大きくなくても、選手としては試合があることがありがたい。確かにスポーツは平和じゃないと成り立たない。でもプロゴルファーの価値…みたいなところは、日本ツアーの選手のほうがより感じているのでは。欧州では新しい試合がどんどんできたので」
ただし再開にあたり、欧州では米ツアー同様、厳格な感染対策が講じられた。PCR検査をすべての大会の開催週の初めに実施。選手は会場入りした瞬間から外部との接触を禁ずる行動規範(バブル)を守る必要がある。選手が自由に動けるのは、試合と試合の間の移動時だけ。
「バブルに入るとホテルとゴルフ場以外の立ち寄りは一切禁止。食事は指定された宿泊ホテルで食べるか、デリバリー。ホテルのルールによってはUber Eatsもダメという試合もあった。実際に外食が見つかって出場停止になった選手もいて、公表もされた。でも『こういう対策をしてリスクを減らしている』とすることで、選手も大会に関わる人も分かりやすかった」
ツアーの成立過程に始まり、収益構造、資金調達力は今、各国それぞれ違う。中でも驚かされたのは、欧州ツアーが選手にコロナ禍の“給付金”めいたものを支給したことだ。
「シーズン再開後、各大会で予選落ちした選手にもお金が出ていた。最低でも1試合あたり15万円くらい、(賞金が高額な)ロレックスシリーズでは50万円近かった」。コロナ禍でプロキャディにも職場を作る目的もあったという。「僕は再開後の4試合で予選落ちしましたけど、ホテル代くらいはカバーできた(笑)。ちょっとびっくり。それに、試合直前のエントリー取り消しの罰金がなくなり、土曜日まで変更可能になるなど、選手にやさしい変化もありました」
■気づかされた“ゴルファーの仕事”
エリート選手が集まる最終戦に出場した今季の出来を、川村は「最低限の目標は達成できた」と振り返った。シード選手として1年目のシーズンは15試合で4日間を戦い、トップ10入りが2回。「こういう状況なので、すべてのトップ選手が試合にそろうわけではなかった。最終戦もQスクール(前年の予選会)上がりの選手もたくさんいて、出られたことも、例年よりはステータスが劣るかと思います」
謙虚に眺める期間で成長を感じた面、いや、取り戻した感覚もあった。
「この5カ月弱、日本人マネジャー(マレーシア在住)が一緒に生活をして、ずっとキャディをしてくれた。こういう状況で英会話が不安な時もサポートしてくれて、本当に感謝しています。その中でゴルフに関しては“自分ひとり”でやってきた。風を読む、残り距離を測る。これほど多くのことを自分で判断したのはプロになってから久しぶりだった」
頼れるマネジャーはプロキャディではない。あくまでフィールド外での仕事がメイン。コース攻略の戦略は川村自身が立てる必要があった。
「ウェールズでの試合。あるパー3で風の読みに気を取られて、ティが前日よりも30ydも前に出ていることに気づかず、ピンを大オーバーさせて同伴選手たちに大爆笑されたこともありました。グリーン上のライン読みもひとり。体調管理も、日本にいるトレーナーに電話をして助けを得ながら現地ですべてセルフケア。ランニングをして、風呂に入って、電気治療もしながらコンディションを整えた。だから練習量にも気を遣った。でも、2、3年前だったら絶対にどこか怪我して日本に帰っていたと思うけれど、幸い今年は秋からどこも痛くない」
「手助けもなく、逃げ道がない。誰かのせいにできない。でもそれは、ゴルファーとしては当たり前のことで、プロになってからそれが当たり前でなくなっていた。甘えがあった自分にも気づいた。すごくいい経験で勉強ができた」
■2021年に向けて
11月のキプロスの試合で1打差2位に終わり、「ツアー初優勝」に届かなかった。2021年の目標はもちろん、そこにある。
「欧州のレベルの高さは感じる。ただ最近まで、自分自身の経験からハードルを“勝手に”上げていた。余裕がなかった部分はあったかなと思う。今年は入れ込みすぎず、試合をやりながらレベルアップできればなと思えた。欧州は選手層が厚いロレックスシリーズで一気にレベルが上がるが、今年は絶好調といえる状態がない中でも、そこでもできた部分があった」
UAEから帰国してからは、三重の実家で2週間の自主隔離。本当は遠征中に切れなかった、伸びた髪をいち早く切りたいのに……。
「いつの間にか帽子が自然と上がってくるくらい、髪の毛が伸びてます。あまりに長いから、シーズンの途中でヘアバンドを買って、ホテルでご飯を食べるときなんかにつけていました。他の選手に『すし屋か、お前は』ってイジられましたけど。両親と会うのも久しぶり。母が毎食作ってくれると思うので、最初の何日かは喜んでくれると思います。でもだんだん、めんどくさくなるんじゃないかな(笑)」
(編集部・桂川洋一)