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<ツアーきっての人格者。43歳の賞金王が見せた微妙な変化とは・・・>

藤田寛之が43歳の底力を見せつけて、幕を閉じた2012年。1992年のプロ転向から丸20年をかけて築き上げた初の戴冠に、努力の積み重ねに勝るものはほかにはないと、改めて人々に示したことだけを取っても、大きな意味のある賞金王獲りだった。

「今年、特別に変えたことは何もない」とこともなげに藤田は言ったが、毎年変わらずに同じだけの練習(といっても、その練習量が藤田の場合は、凡人の域をはるかに超えているのだが)を何年も継続していくことこそ、誰にでも出来ることではなく、同年代の選手たちが、体の故障や不振にあえぐ中でも「僕は特に、痛いところはどこもない」と言える状態を、長年にわたってキープし続けていることにもまた、頭が下がる思いだ。

ゴルフへの取り組みは言うまでもなく、藤田のすばらしいところはコース内外の立ち居振る舞いもまた、デビュー当時から、何ひとつ変わっていない点である。以前からそうだったのだが、ここ近年は特に、常に賞金ランクのトップ5をキープして、当然日々の取材もほかの選手よりは格段に多かった。

というか、どんな質問にもいつも懇切丁寧に答えてくれるから、なおさら報道陣にはありがたく、そのために取材される機会がほかの選手よりも余計に増えるのだろうと思うが、あれほど頻繁に記者に取り囲まれれば、疲れている日や急の用事がある時には、さすがに面倒くさいなとか、適当にお茶を濁してしまえと思うことが、たまにはあっても良さそうなのだが、藤田が人前で少しでも迷惑そうな素振りを見せたことは、これまで一切ないのである。毎週、毎日のことで、そういう場面が一度でもあっても不思議ではないと思うが、この人に限っては、本当にないのである。これはもう、持って生まれたお人柄ゆえと言うしかなく、成績以外にマナーや性格面のMVPがあったら、きっと藤田をよく知る誰もが迷わず、彼に一票を投じるだろうと思う。

これほどの注目を集めておきながら、「僕は、そんなに世間で知られた存在ではありません」と、本気で言う謙虚さもそのままだ。今年はスポンサー契約を結ぶデルタ航空が、藤田を顔に大きな広告を打った。ファーストクラスでスヤスヤと寝息を立てる藤田の写真がでかでかと描かれたリムジンバスを成田空港でも見かけたが、「“あれ誰?”って言われないですかねえ」と本人は、本気で心配していたものだが、今年は特に、私営の練習場でも「藤田さんですね」と声をかけられる機会が一段と多くなり、遠征から帰れば優合子夫人が「頼まれたんだけど・・・」と差し出す色紙の枚数も、とみに増えたという。

そんな周囲の変化も冷静に受け止め、プロゴルファーの藤田寛之と、プライベートな自分を客観的に使い分け、それに振り回されないでいられることもまた、この人が生まれ持つ希有な才能のひとつであろう。

もっとも、優合子夫人だけは、そんな夫のある変化に気付いていた。藤田の父親の寛実さんは、典型的な九州男児。頑固一徹な生き様に「俺はああいう父親にはなりたくない」とかねがね本人も言っていたそうだが、「そんな彼も、最近はお父さんに似てきました」と、優合子さん。本人にもその自覚があるそうで、やっぱり血は争えない。

穏やかな口調は以前のままでも、若手選手を鼓舞し、ゲキを飛ばす場面が以前より増えたのも、また変化のひとつだと思うがそれは、あえてそうしなければならない立場に自分は立ったという本人の覚悟というか、自覚のようなものが、大いにあると思う。賞金王の座についた翌日にも、「世界で活躍する日本の若手が少ないのは、彼らをとりまく日本の環境が、世界に比べてはるかに劣っているからだと思う」と人生最良の日にも、喜びに浸るどころかゴルフ界の現状を憂い、「みなさんにもぜひご協力いただきたい」と、その発展を本気で願う様子もまた、この人らしいなと思う。

学生時代に同い年の丸山茂樹がつけたあだ名は“ビッケ”。2013年。“小さなバイキング”はまたひとつ歳を重ねてなお、どんな大海原にこぎ出そうとしているのだろう。我々もその航路を見失わないように、心してついていきたいと思う。

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