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三田村昌鳳×宮本卓 ゴルフ昔ばなし

米国で武者修行 AOよりも早かった樋口久子の海外挑戦/ゴルフ昔ばなし

2018/09/06 07:45


国内女子ツアーは6日(木)、今季のメジャー第2戦「日本女子プロゴルフ選手権コニカミノルタ杯」が富山県の小杉CCで開幕しました。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏による対談連載は、女子プロゴルファーの先駆者である樋口久子選手を特集中。今回は日本に初めて海外メジャーのタイトルをもたらしたレジェンドの渡米について語ります。

■ 固定相場制時代に渡米

―樋口選手は「日本女子プロゴルフ選手権」で、1968年の第1回大会から7連覇を達成、さらに1976年から2連勝を遂げ、大会通算9勝を挙げました。その間、1970年に米女子ツアー挑戦を開始。1974年には「オーストラリア女子オープン」で海外初優勝を飾りました。

三田村 時間の流れから話すと、樋口さんが海外ツアーへの挑戦を始めたのは1ドル=360円の固定相場制時代(1971年12月から308円、73年4月から現在の変動相場制)、またはその名残がある時期だった。日本から持ち出せる金額も1000ドル、2000ドルほどだけ、今みたいに簡単に海外旅行ができたわけでもなく、見送りの人は空港に旗を持っていったような時代だったんだ。その後、81年から米ツアーに定着した岡本綾子の全盛期は変動相場が当たり前になり、経済成長の中で85年には男女雇用機会均等法が成立した(86年施行)。女性の権利に関する問題意識の高まりが具現化された成果でもある。小林浩美が活躍した時期は、留学生がどんどん増えてMBAを取るのがブームになったりした。
宮本 樋口さんが米国に渡った時期は、まだ日本の試合は少なかった。1967年に“ツアー”としては「日本女子プロ選手権」の1試合。68年に「日本女子オープン」が増えただけ。70年にやっと6試合になった。女子プロゴルファーとして大成するためには、海外に行かざるを得ないような時代でもあったんだ。
三田村 そういう意味で、日本の女子ゴルフの人気は当時の時代背景とよくリンクする。男子よりも分かりやすいとも言えるね。

■ モーテルで転戦生活

―ミズノのバックアップを受けていた樋口選手は、佐々木マサ子選手とともに転戦生活を送りました。男子ツアーを見れば、1971年に青木功尾崎将司がそれぞれプロ初優勝を飾ったところ。女子のふたりはいち早く海外に目が向いていたことになります。

三田村 樋口さんの海外挑戦は、まさに「武者修行に行く」というレベルでスタートした。先ほどの時代背景も考えると、周囲にしてみれば「なんでわざわざアメリカに行くのか?」と思われたことだろう。それでも彼女は米国の選手たちのパワーや、どんなプレーをしているのかを知りたかった。通訳兼マネージャーとの3人旅。
宮本 家も持たず、宿泊するところもモーテルやコンドミニアムだったんでしょう?
三田村 普通に考えれば、女性が、しかも体が資本のスポーツ選手が泊まるようなところではなかった。防犯のためにベッドの横にサンドウェッジを置いて寝るなんてこともあったという。本当に武者修行だ(笑)。ゴルフコース内外で、そういうことを経てだんだん強くなったんだと思う。当時、僕がフィラデルフィアでジーン・サラゼンにインタビューをして、自宅を撮影させてもらったりしたことがあった。その帰り道に樋口さんがモントリオールの近くで試合をしていたところに立ち寄ったんだ。佐々木さんもいた。ホテルの部屋でトイレを借りようと、ユニットバスに入ろうとしたら、ふたりが「三田村さん、入ったらダメ!」と言うんだ。バスルームには一面、洗濯物が…。そそくさと帰ろうと思ったよ(笑)

■ 米国でも「変わらない」強さ

―1976年の米女子ツアー「コルゲート欧州女子オープン」で優勝した樋口選手は、77年6月にサウスカロライナ州ベイツリー・ゴルフプランテーションコースで行われた「全米女子プロゴルフ選手権」(現在のKPMG女子PGA選手権)で、後続に3打差をつけて初優勝。レギュラークラスでは、現在も男女を通じて日本勢が手にした唯一のメジャータイトルです。2003年には世界ゴルフ殿堂入りを果たしたレジェンドの強さとはなんなのでしょうか。

三田村 海外では、最初のうちは向こうの選手も「よく来たね」と歓迎してくれた。それがだんだん好成績を残していくと、イジワルもされるようになった。平気な顔をして、パットのラインを踏まれるような…。
宮本 それは米国社会のひとつの影の部分かもしれない。僕も米国を拠点に仕事を始めたが、急に周囲の視線が変わったのを感じた瞬間があった。ちょうど仕事が軌道に乗ったり、お金を稼ぐようになったりするタイミングだった。
三田村 樋口さんに僕が驚いたのは変わらないペースだった。初めて彼女を米国で観たとき、まるで日本でやっているかのようだった。もちろんコースは長いし、難しい。でも歩くテンポも何も、すべてが同じ。パー3でひとりだけウッドを持ってグリーンでボールも止める技術ももちろんあったが、醸す空気も攻め方も一緒。日本の女子ツアーでも観に来たかな…というような気持ちだった。攻め方にしても、「海外に来たから、こうじゃなきゃいけない。米国ではこう攻めなきゃいけない」というのがなかった。自分がやれることを普通にやる、というのが樋口の強さだった。ラインを踏まれることさえ、屁とも思わない。怒りたくなる気持ちもあったかもしれないが、「違う国でやっているんだから、イジワルされたって仕方ないよ」というくらいの振る舞いだった。

現在、日本女子プロゴルフ協会の会長を経て相談役を、今年から日本ゴルフ協会特別顧問も務める樋口選手は10月13日に73回目の誕生日を迎えます。昔ばなし・樋口久子編は次回が最終回。当時の日本の女子ゴルフ界も振り返ります。

三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。

宮本卓 TAKU MIYAMOTO
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」

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