2013年 ボルボワールドマッチプレー選手権

ボルボワールドマッチプレー選手権の歴史を探る

2013/05/16 13:48
長い歴史と伝統を誇るボルボワールドマッチプレー選手権。その歴史を探る (Getty Images)

第48回「ボルボワールドマッチプレー選手権」を控え、europeantour.comは有名な8人組と、よく知られた選手達のグループの後に誰がつけるかを探っている。

木曜日と金曜日に開催されるファーストラウンドの為に24人の選手が3グループ各8名ずつに分かれ開催されるこの大会。歴史上の人物にちなんで名付けられたトラシアンクリフゴルフ&ビーチリゾートで初めてのワールドマッチプレー選手権が開催されてから50年、「ボルボ IMG ワールドマッチプレー選手権」と名前を変えながら、歴史的な大会として位置づけられてきた。

今日のゴルフ界の中でも最も長く開催され続けているこの大会の持つ歴史は、世界でも有数の選手を惹き付けている。伝説的なアーノルド・パーマー(米国)は1964年に最初のワールドマッチプレー選手権の優勝者となって以来17のメジャー大会を制覇し、その間に出場したメジャー大会の数はなんと168回を数える。

大会が一年休止し、2011年に再開したときに、フィールド上での同時にプレーする選手は16人から24人に拡大し、交代でラウンドする組の数は8に増加した。

開始早々から激しい争いになるのは、グループに振り分けられた8人全員に優勝する権利があると言えるからだろう。

セベ・バレステロス(スペイン)
あらためて紹介する必要はないだろう。ヨーロッパのゴルフの歴史と彼の出場大会でのプレー振りが同義と言える男だ。5つのメジャー大会、50の欧州ツアー大会、さらに他に世界中で37の大会の優勝。そしてもちろん、キャプテンとしての彼のパフォーマンスによって1997年バルデラマで行われた「ライダーカップ」(37マッチで20ポイント)といったキャリアはヨーロッパの選手の中でも類を見ない。ワールドマッチプレー選手権も20回出場し、1981年から1991年の間に5回優勝を飾った。絶対に揺るぐことのないファイナリストを、忘れることはないだろう。

ゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)
トラシアン・クリフの壮大なコースが彼の公正な手によってデザインされたことを考慮したとしても、彼の名前が2013年大会の中につき、受け継がれて行くかどうかはまだ分からない。ワールドマッチプレー選手権に20回出場し後年は優勝に届くことはなかったが、彼はワールドマッチプレー選手権に出場した選手の中で最も経験豊富だ。1965年から1973年の間に5回優勝した。その翌年は優勝したヘイル・アーウィン(米国)に3&1で敗れ、2位に甘んじた。いわゆるペブルビーチ・オブ・ヨーロッパは、常に彼の好きな大会であり、今週、主催されることを喜んでいる。

マーク・マコーマック
おそらく、世界の「スーパースポーツ」界でのゴルフの地位確立において最も影響力のある人物の一人と言えるだろう。彼は貿易弁護士だったが、1950年代に一日のゴルフ大会をオーガナイズした後、アーノルド・パーマー(米国)と契約を締結し、その後、国際的なマネジメントグループ(IMG)で最も成功したスポーツ・メディア事業に至る組織を設立し、議長を務めた。パーマーが優勝した1964年に、彼はIMGとしての最初のゴルフイベントを主催した。それ以来、過去半世紀にわたって、IMGは、250以上の欧州ツアー大会を含む世界中の750の大会を主催している。

アッサール・ガブリエルソンとグスタフ・ラーソン
2013「ボルボワールドマッチプレー選手権」はボルボが主催となり4回目を迎える。それまではIMGとボルボが共同主催していた。スウェーデンの会社の尊敬されるべき歴史の中でのこの2人の名前は、2011年より、ラウンドするグループの名前の2つに名付けられることとなった。この北欧のメーカーはスウェーデンのボールベアリングメーカー、AB SKFの子会社として1915年に設立された。1924年にガブリエルとラーソンの2人の創設者は、スウェーデンで車の製造を開始することを決めた。 3年後、初の量産車となるボルボはヨーテボリでのアンダース工場で生産ラインを作った。最初のトラック・シリーズ1は1928年1月に発表され、すぐに成功した。最初から同社の2人の創設者は、安全で、スウェーデンの寒冷な気候と、当時の劣悪な道路状況によってもたらされる過酷な条件に耐えられる車両を構築することを決めた。車は人によって動かされるからこそ、創業者2人はこう言った。「安全である。 そして、常に安全でなければならない 。これが全ての設計作業の基本原則だ」。

イアン・ウーズナム(ウェールズ)
彼の輝かしい欧州ツアーのキャリアはよく1991年、見事なマッチプレー記録を打ち立てたマスターズを思い出されることが多いが、9回の「ライダーカップ」出場もまたよく思い出される(選手として出場8回のうち5回の優勝、2006年にはキャプテンとしてプレーをせずに優勝)。ワールドマッチプレー選手権でも3回優勝しており、最初は1987年に同胞の英国人サンディ・ライル(スコットランド)を破ったとき、そして最後はその14年後、2001年にパドレイグ・ハリントン(アイルランド)をウェントワースクラブの素晴らしい西コースで2&1のスコアで破ったときだ。

グレッグ・ノーマン(オーストラリア)
伝説的な「ホワイト・シャーク」は1980年代から1990年代にかけて331週の間、世界のナンバー1ゴルファーとして過ごしてきた。常にマッチプレーを成功するための完璧なゴルフスタイルを持っていた。攻撃性、粘り強さ、生まれ持った才能と幸運で1980年から1992年の間にワールドマッチプレー選手権に9回出場、3回の優勝を誇る。

アーノルド・パーマー(米国)
アメリカのレジェンドは、1964年の最初のワールドマッチプレー選手権でニール・コールズを2&1で破り、最も古く、最も尊敬されることとなる個人のマッチプレー競技の出だしを飾った。IMGの最初のクライアントは、最後の2ホールでのピーター・トムソン(オーストラリア)を破った1967年大会で2度目の優勝。初年度から1983年の間にワールドマッチプレー大会に8回出場した。

2013年 ボルボワールドマッチプレー選手権