<選手名鑑163>ケビン・キスナー
■ 初優勝へ最接近中!出場3試合でプレーオフ2回
ケビン・キスナー(31)はPGAツアーで初優勝に最も近い選手だろう。4月の「マスターズ」翌週の「RBCヘリテージ・クラシック」では、惜しくもプレーオフで同大会2010年優勝者のジム・フューリックに敗退した。最終日は首位のトロイ・メリットに3打差でスタートし、左に海が広がる難度の高い名物の最終ホール18番でバーディを奪い「64」。通算18アンダーでフューリックを捕らえた。会場は生まれ故郷でもあり、現在も拠点にしているサウスカロライナ州。ギャラリーの応援は誰より大きかったが、あと一歩で悲願の初優勝に届かなかった。
選手にとってプレーオフでの惜敗経験のショックは大きく、その後なかなか本来の力を発揮できない場合が多いのだが、キスナーは違った。その後、自身2試合目の「ザ・プレーヤーズ選手権(以下TPC)」でまたもプレーオフに進出した。準メジャーと言われ、難コースのTPCソーグラス、最終日は首位のクリス・カークに1打差で最終組でスタートし、「69」の会心のプレーを見せた。通算12アンダーでリッキー・ファウラー、セルヒオ・ガルシアと並び、3ホールのプレーオフに突入した。
ガルシアが脱落し、サドンデスの4ホール目からはファウラーとの一騎打ちに。迎えたアイランドグリーンの17番(パー3)。ピンの位置は右から3ヤード。つまり3ヤード強の右は池だ。先に打ったキスナーの打球はピンの左1メートルに落ち上6メートルにつけて、後に打つファウラーに強いプレッシャーをかけられる見事なショットだった。しかし、ファウラーはピンをデッドに狙い、右2メートルにピタリとつけるクレイジーショットで魅せたのだ。キスナーがこれを外し、ファウラーが沈めて勝負を決した。キスナーは敗退したものの、最後まで食らいつく“鋼の精神力”を見せた。
■ キスナーを盛り上げるド迫力キャディ
キスナーの帯同キャディはキャリア10年のデューン・ボックだ。ニューヨーク州ロングアイランド出身で、ノースカロライナ州キャンベル大学へ進学し、92年には全米学生ランク9位だった。プロ転向後はカナダツアーなどでプレーしたが、キャディに転向。ケン・デューク、ダグ・ラベルらのバッグを担いできた。
なかなかのド迫力ボディで存在感たっぷりのボック。最大の特徴は超特大のふくらはぎだ。後ろから見ると野球のボールが1個ずつが入っているような筋肉の盛り上がりで、TPCのプレーオフの際、米国の中継内で「ファウラーはボックのふくらはぎに負けそう!?」と言われたほど注目を集めていた。青木功選手のPGAツアー全盛期、試合中はスラックスで隠れていたが、プライベート時のショートパンツ姿にイメージが激変したことがあった。シェイプされた体型からは想像できないほどの大きな筋肉のふくらはぎが、パワーの源だと知った。ボックはそんな青木選手の倍ほどの驚愕サイズなのだ。春にはボックが着用していたお気に入りの赤色ショートパンツが問題になった。真紅でなく、トーンを抑えた色調にもかかわらず、規定に反すると警告を受けたのだ。同日のテレビ中継で解説のジョニー・ミラーとアナウンサーは真紅のシャツを着用し、なぜキャディがいけないのか?と猛反論。この騒動の発端は、彼がツアーで最も目立つ“脚”のせいだったからかもしれない。
■ 個性派揃いのジョージア大学OB
ここ数年、キスナーの出身校ジョージア大学の出身者の大活躍が続いている。2012年にバッバ・ワトソンがジョージア州開催の「マスターズ」で優勝してから、同校出身選手の優勝ラッシュが続いた。ハリス・イングリッシュ、ラッセル・ヘンリー、ブレンダン・トッド、クリス・カーク、ブライアン・ハーマンらが初優勝を飾り、そしてキスナーも度々プレーオフに進出し、あと一歩の勢いである。
キスナーは優勝こそ果たしていないが、ツアーにおけるジョージア大学軍団を牽引してきた。2008年の今田竜二の初優勝から約2年後の2010年6月、ワトソンが6月の「トラベラーズ選手権」で初優勝。同年9月には、下部ウェブドットコムツアーで後輩たちが2週連続優勝で話題沸騰となった。ケビン・キスナーが、9月5日「メイラン・クラシック」で同ツアー初優勝を挙げ、その前週には「ノックスビルニュース・センティネル・オープン」でクリス・カークが逃げ切りで優勝を飾った。カークと1歳上のキスナーは大学のチームメイトで、2005年「全米学生選手権」では、大学を優勝へ導いた両雄だった。
下部ツアーで火が点いたジョージア大学旋風はPGAツアーへと波及していった。2012年のワトソンの「マスターズ」優勝、2度の心臓移植を乗り越えプレーするエリック・コンプトンら、多くのスター選手が現れた。同大学は今年で創立230年の歴史を誇り、全米でもトップクラスの州立大学で、優秀な学生が集まる。ゴルフ部も文武両道をモットーに名監督クリス・ハックは個性を大切に伸び伸びと選手を育ててきた。彼を扇の要としツアー入りしてもOBたちの絆は強い。そしてこれからも頼もしい後輩たちがツアー入りしそうだ。
■ 悲喜こもごもの2012年
キスナーは2011年、念願のPGAツアーにルーキーとしてフル参戦を果たしたが、現実は厳しく、夏までトップ25にさえ入ることが出来なかった。親友カークに刺激されて奮闘したが、停滞ムードが続きシード権獲得に失敗。QTを受け直し11位で2年連続PGAツアーでのプレーにこぎつけた。2012年は、8月の「カナディアン・オープン」の10位でPGAツアー初のトップ10入りを果たしたが、24試合中14試合の予選落ちが響き、賞金ランクは168位と低迷した。QTも失敗し、翌2013年はウェブドットコムツアーからやり直しを強いられた。
彼にとってツアー2年目の2012年は公私ともに激動だった。同年3月にジョージア大学で知り合ったブリタニー・デジャネットと挙式。彼女はサウスカロライナ州の医科大学で学び、言語療法士として言葉やコミュニケーションの苦手な子供たちのために働きだした。キスナーは結婚を機に、ツアープロとして結果を出したかったが空回り。新婚生活は悲喜こもごもだった。
■ 愛娘誕生!生まれ変わった2014年シーズン
力強いインパクト、バランスのとれたフィニッシュ、重量感ある弾道。2013年のウェブドットコムツアー賞金ランク13位で、2014年のPGAツアーシード権を獲得した。ショットの安定感に加え、パットが急激に向上し、各大会でもパットの分野でフィールド1位になることもしばしばあった。同年5月、6位タイに入った「ウェルズファーゴ選手権」、7月、9位タイで終えた「カナディアン・オープン」でもパット部門で1位。同年のパット貢献率では21位にランクインした。3パット回避率も3位と、パットの分野で才能を現しはじめた。成績にもダイレクトに反映され、トップ10に3回、トップ25に6回、ポイントランク104位で、2015年のシード権を獲得した。予選から勝ち上がり、初めてのメジャー「全米オープン」出場も果たした。大会3日前に長女キャサリン・グレースが誕生するという嬉しい出来事が続いた。娘の誕生は人生観を変え、大きな転機となった。今季の相次ぐプレーオフ進出、6月の「全米オープン」でも12位タイ・・・。愛妻と愛娘が見守る18番グリーンで悲願の初優勝を飾るのは、そう遠くないかもしれない。