<佐渡充高の選手名鑑 74>ジェイソン・ダフナー
■ 今大会で涙の初優勝
ジェイソン・ダフナー(36)は昨年の今大会で涙の初優勝を果たした。最終日を首位で迎えたが、アーニー・エルスに並ばれプレーオフ。ギリギリの攻防戦が展開される中、ダフナーが2ホールでバーディを決めると、メジャーチャンプのエルスを破って初優勝を飾った。この初優勝はダフナーにとって大きな意味があった。実はその前年の2011年「ウェストマネジメント フェニックスオープン」で、マーク・ウィルソンとのプレーオフに敗れ、8月の「全米プロ選手権」でも、最終日を首位で迎えながら、キーガン・ブラッドリーに追い付かれて、またもやプレーオフ。3ホールに渡ったプレーオフでは、1打及ばず2位に甘んじるという悲劇が待ち受けた。メジャー優勝を逃したショックは大きく周囲はもう立ち直れないのではと心配された。ところが、その苦難を乗り越え、初優勝を成し遂げたのが今大会だった。この優勝で殻を破ったダフナーは、3週後の「HP バイロンネルソン選手権」でも優勝を果たし、2012年シーズンは、「ライダーカップ」のメンバーにも選ばれ賞金ランク4位、世界ランクも10位まで駆け上がる大躍進を遂げた。しかも2勝を挙げた直後に大学時代から付き合っていたアマンダ・ボイドさんと結婚するなど、人生をバラ色に変えたのだ。
■ ベン・ホーガンのスウィングを模倣
本格的にゴルフを始めたのはダフナーが15歳の時。ベン・ホーガンに憧れ、彼のスイングを真似てきた。比較的フラットなスイングはそのためだ。特徴は、構える直前に手首を大きく動かし、クラブを左右に揺さぶるワッグルだ。「一度静止するよりこの方がスムーズにスイングに入れる」からだそうだ。アラバマ州のオーバーン大学では、オールアメリカに選抜されるなど活躍。ライバルはマット・クーチャーやルーク・ドナルドだった。1997年には、日米対抗戦が日本の福島県の棚倉ステークスCCで行われ、個人優勝を挙げた(2位J.J.ヘンリー、5位には日本の星野英正が入っている)。ウェブドットコムツアーでは今田竜二と親交が深く、2004年に今田がPGAツアーに入ってきてからも練習ラウンドを共にするなど関係を深めた。このダフナーの活躍が、シード権を失った今田の刺激になればいいと願う。
■ 子供の頃のニックネームはホットドッグ
中学生までは野球やバスケに夢中で、“ホットドック”という名の球場に毎日通っていたことから、いつの間にかニックネームが“ホットドッグ”になった。コーラが大好きで、今も一日10本も飲むほどだそうだ。好きな料理はドイツ料理。祖父母はドイツからの移民で、子供の頃から頻繁にドイツ料理を食べて育った。米南部育ちで、気性は誰にでもフレンドリーな典型的な南部人である。
■ 完璧なデータ管理
ダフナーは何かとメモをとる。いつも手帳を持ち歩き記入、さらにそれをPCにバックアップで入力する。大会のコースについての情報や、攻略リストも常に完璧である。ゴルフはもちろんだが、他のスポーツにおいてもスタッツ中毒と思われるほど数字にこだわる分析派で、身の回り、家の中もカバンの中も、いつもきちんと整理整頓されている。様々な苦境を乗り越えトッププレーヤーになったのは、単なる技術だけではなく、準備と整理にこだわる性格と、その人柄が押し上げたのかもしれない。