2014年 ザ・メモリアルトーナメント

青木、丸山、今田…日本人選手の米ツアー初制覇をプレーバック

2014/06/02 07:25
パーパットを沈めてガッツポーズ。松山はプレーオフ1ホール目で優勝を決めた

松山英樹の「ザ・メモリアルトーナメント」優勝は、日本人選手としては6年ぶり6度目、4人目の米ツアー制覇だった。遡ること31年前、先駆けとなった1983年「ハワイアンオープン」の青木功初優勝からプレーバックし、改めて、日本人選手の米ツアー初優勝を振り返ってみた。

1.青木功 1983年「ハワイアンオープン」

生涯現役を宣言し、71歳の現在も競技に全力投球する青木功

31歳で初出場した1974年の「マスターズ」以来、日本ツアーを拠点としながら積極的に海外参戦し始めた青木は、78年に「世界マッチプレー選手権」で海外初優勝。80年「全米オープン」では今も語り草のジャック・ニクラスとの4日間に及ぶ死闘の末に準優勝など実績を積み上げ、81年に米ツアーのツアーカードを獲得した。

82年に賞金シードの獲得に成功し、臨んだ83年シーズンの一戦。最終日最終組でプレーしていた青木は、18番パー5を首位タイで迎えたが、前の組を回っていたジャック・レナーがバーディを奪い、一足先に通算19アンダーの単独首位でホールアウトされた。青木の2打目はミスとなり残り128ヤードの左ラフへ。良くてもバーディでプレーオフ…誰もがそう思い、満面の笑みでレナーがスコアカードを提出しているその時に、青木がラフから放った第3打はピン手前で1バウンドして、そのままカップへと吸い込まれた。

劇的な逆転イーグル。日本人選手初優勝の快挙は、青木が両手を挙げて小躍りした起死回生のショットで達成された。キャディに勧められた9番アイアンを戻して、自らピッチングウェッジを選択して放った一打だった。

2.丸山茂樹 2001年「グレーター・ミルウォーキー・オープン」

故障に苦しみ出場試合数が減った丸山。ロープの外からトッププロの心理を解説することが増えた

巧みなトークなどもあって「マルちゃん」として国内ツアーで人気者となった丸山茂樹が、米ツアーにフル参戦し始めたのは30歳となって迎えた2000年。翌01年の大会でチャンスが訪れた。通算13アンダー2位タイからスタートした最終日、丸山は「66」と猛チャージをかけ、通算18アンダーで10歳下のチャールズ・ハウエルIIIと首位タイに並んでホールアウト。決着はプレーオフにもつれこんだ。

18番パー5を使って行われたプレーオフ1ホール目。確実なフェアウェイキープから3打目できっちりバーディチャンスにつけた丸山に対し、ハウエルの3打目はグリーンをとらえきれず、カップを狙いにいった4打目アプローチも入らない。1パットで沈めた丸山が、ガッツポーズとともに米ツアー通算69戦目での栄冠をつかんだ。青木功の初制覇から数えて実に18年後の日本勢2人目の勝利だった。

丸山はこの後、02年「ベライゾン・バイロンネルソン・クラシック」、03年の「クライスラー・クラシック・オブ・グリーンズボロ」と、飛ぶ鳥を落とす勢いのタイガー・ウッズらが活躍するツアーで年1勝ペースの活躍。世の中がパワーゴルフへとシフトする中、技巧派として存在感を発揮した。

3.今田竜二 2008年「AT&Tクラシック」

下部ツアーを主戦場とする日々の今田竜二。再びトップツアー復帰を狙っている

マスターズにあこがれ、ゴルフをするために14歳で単身渡米し、フロリダで練習漬け-。その後、ジョージア大学に進学した今田竜二は、多くの日本人選手とは異なり、日本ツアーを経ずに1999年にアメリカでプロ転向した経歴の持ち主だ。アマチュア時代は全米でも注目される活躍をしてきたが、現在のウェブドットコムツアーにあたる下部ツアーで5年間の下積み生活を経て、レギュラーツアーを主戦場としたのは29歳になる2005年からだった。

初優勝のチャンスをつかんだのは、ジョージア州アトランタ郊外のTPCシュガーローフを会場とする「AT&Tクラシック」。今田にとっては大学時代から馴染みのあるコースだった。07年大会は2日目から首位を走ったが、最後にザック・ジョンソンに追いつかれてプレーオフとなり、18番パー5で2打目をグリーン左手前の池に落として2位に終わった。

翌08年に再びチャンスをつかむ。3打差6位から出た最終日に5ストローク伸ばして通算15アンダーの首位に立ってホールアウト。ケニー・ペリーが並び、2年連続のプレーオフ進出を果たした。

ティショットでフェアウエーキープしたペリーに対し、今田はラフ。左手前の池を避けながらも2オンを狙ったペリーの2打目は、飛び過ぎてグリーン右奥の木に当たり、跳ね返ったボールはグリーンを再び縦断し池へ落ちた。今田は、前年の経験を生かしてレイアップし、3打目勝負で確実にグリーンをとらえた。2パットのパーセーブ。渡米以来苦節18年でついに悲願をかなえた瞬間となった。

2014年 ザ・メモリアルトーナメント