アジアシリーズ開幕展望 佐藤信人×山中博史の目
■海外での経験 佐藤信人「いつも違和感があった」
3月12日に43歳の誕生日を迎えた佐藤は、2000年、02年と賞金王争いを演じた名手。もともと千葉・薬園台高を卒業後、米国の陸軍士官学校に入学した異色の経歴を持つ。英会話も堪能で、2004年には欧州ツアーのメンバーとして世界各国を転戦。それだけに、海外でのプレーする機会が、少なからず選手たちにメリットがあると感じている。
佐藤「2003年の秋に、ファイナルから出場できるヨーロピアンツアーのQTを受けました。前の年にはアメリカのQTにもチャンレンジしたんです。どっちか、どっちでもいいから行きたかった。その前に全英オープンや、WGC、海外の試合に何試合か出させていただいたんですが、外国に行くといつも違和感がありました。居心地がすごく良くなくて、成績も思うようにならなかった」
山中「佐藤さんは大学もアメリカで、英語も堪能。それでも居心地の悪さは感じたんですか」
佐藤「いつも『この違和感は何だろう?』と思っていました。でもそれは結局、スポット参戦で行くからなんですよ。“よそ者”で居場所がない感覚。だから海外ツアーのメンバーとして大きな試合に出たら居心地もよく、良いゴルフができるんじゃないかと思ったんです」
2005年シーズンには再び主戦場を日本に戻したものの、夫人とキャディの夫妻と転戦した1年間は濃密だった。イギリスにアパートを借りて拠点を構え、スペイン、イギリス…毎週パスポートを持って試合会場を訪れる日々…。
佐藤「海外ツアーで戦う難しさを一言では言えませんが、とにかく日本で起きないことが多く起こりました。飛行機は時間通り飛べばビックリする。荷物もちゃんと着かない、試合も雨で中断かと思ったら、それが5時間、6時間そのまま続いたり…。我慢させられる局面がいっぱいあったんです。何事も腹を立てていたら、ものごとが進まない。日本の便利さに慣れていたから、それがまず大変でした」
欧州ツアーは現在も、米ツアーはもちろん、サンシャインツアー(南アフリカ)やアジアンツアーとの連携が強く、年間の共催試合も多い。欧州のほかアフリカ大陸、中東。そして韓国、中国、インドほかユーラシア大陸全土をまわる巨大なフィールドだ。しかし、各フェデレーションとのジョイント競技開催は、やはり一筋縄でいかないところもある。
山中「共催や共同主管となると、いろんなレギュレーションやルールをどちらのツアーに合わせるのかといった問題が出てきます。例えばバンカー内の石の扱い。日本では今でこそ拾えるようになりましたけど、昔はルースインペディメントだった。それがアジアンツアーは既に拾えたんです。そうすると、選手の誤解を招いたりするケースがあります。アジアジャパン沖縄オープンの時は特別ルールとして、拾って良いことにしました。ペナルティを選手に付けないようにするために、選手とって不利でないルールに統一するようにしています」
佐藤「昔、僕も香港でペナルティを受けたことがありました。ヨーロッパとアジアの共催試合で。グリーン周りの看板、スポンサーボードを、ヨーロッパでは動かせる障害物とするのに、アジアでは動かしてはいけなかった。それを動かしてしまったんです。2004年でした」
山中「選手のレジストレーションの時刻も違えば、練習ラウンドの規則、賞金のブレイクダウンや税率、エントリー方法や締切り、帯同キャディの受け付けも様々。選手にとって不利にならないルールを採用するのが、暗黙の了解になっていますが、ツアーの立場からすると、そういった点をまず詰めなければならない。準備で一番大変なところです」