<佐渡充高の選手名鑑 102>ティム・クラーク
■ 「Little bulldog(リトル ブルドッグ)」
かつてグレッグ・ノーマンは、ティム・クラーク(38)のことを「Little Bulldog(リトル ブルドッグ)」と形容した。2009年の「ザ・プレジデンツカップ」でキャプテンを務めたノーマンが、閉会式のスピーチで彼のプレーぶりを例えたのだ。聞いた瞬間、その表現はまさに言い得て妙だと思った。もともとブルドッグは牡牛と対戦させるために開発された犬種で、欧米では今でも“小さいけど噛みついたら放さないイメージ”から、スポーツのチーム名などにも用いられる。身長170センチ、68キロの小柄なクラークは、飛距離のあるほうではないが、しぶといプレーで食らいつき、粘り強い選手だ。昨年のこの大会がいい例だ。終盤はこれでもかと粘り、チャンスにつけるとあがり4連続でバーディを奪って首位のラッセル・ヘンリーに1打差に迫った。ヘンリーも負けじと5連続バーディでクラークの追撃を辛くもかわし、何とか逃げ切ったのだ。しかしあの粘り強いプレーは、クラークのゴルフをまさに象徴するようなプレーだった。
■ 同い年のタイガーを脅かす存在
クラークは南アフリカ共和国のサウスコーストの美しい街、ウムコマースで生れ育った。温暖な気候で1年中プレーが可能、世界有数のダイビングスポットとしても知られている。クラークが3歳の頃、父にクラブを与えられゴルフを知った。少年時代はパブリックコースでプレーし、8歳で初ホールインワンを経験。次第にアーニー・エルスやレティーフ・グーセンの次世代として期待されるトップアマに成長した。そしてノースカロライナ州立大からのスカウトで初渡米を果たすと、大学リーグ参加から早々に力を発揮しはじめた。初年には全米学生の新人王に輝くと、同じ歳、同じ月生れ(1975年12月)である強敵スタンフォード大学のタイガー・ウッズを脅かす存在になった。さらに2人はPGAツアーに舞台を移し対戦。2009年には「WGC アクセンチュアマッチプレー選手権」の2回戦で、クラークがウッズを3&2で撃破。ちょっと凶暴なブルドッグが技と粘りで猛虎に打ち勝ったのだった。
■ 今田竜二を阻止してマスターズ出場
渡米から1年半が経過した1997年7月。ケンタッキー州レキシントンにあるピート・ダイ設計のカーニー・ヒルゴルフリンクスで「全米アマチュアパブリンクス選手権」に参加した。同試合は勝者に「マスターズ」と「全米オープン」の出場権が与えられるアマ界最高峰の試合。僕は例年以上にドキドキしながら、その行方を見守っていた。世界のトップアマとの激戦を制して勝ち上がり、36ホールのファイナルに進出したのは21歳のクラークと、ジョージア大学進学前、20歳の今田竜二。男子アマでは1900年「全米アマ選手権」以来の“外国人マッチ”と注目を集めた。その日のクラークは「人生最高のゴルフ」と振り返ったほど絶好調で迎えると、2か月前から使いはじめた長尺パターが火を噴き、今田のメジャー出場の夢を最後の最後で阻止したのだ。以来、クラークを見るたびに思わずこの記憶がよみがえってくる。
■ 長尺パターを使う理由は・・・
長尺パターは大学時代から使い続けているが、その理由は左手首が変形していて一般的なパターが握りにくいからだ。生まれた時から前腕が外側に回りにくく、右手でしっかり握ることができないと言う。そこでたどり着いたのがペンシル・グリップ。軸となる左手は普通に握り、右手は鉛筆を握るようにグリップする。このパターで欧州ツアーでは3勝、PGAツアーでは出場206試合目、2010年の「ザ・プレーヤーズ」で待望のツアー初優勝を飾った。その1勝に留まっている理由は数々のケガだ。右手首を痛め、2000年に手術。7年前には首痛、数年前には肘痛も発症して治療に専念するなど、幾度も長期間のツアー離脱を余儀なくされた。ようやく昨年から体調万全で実力を発揮、昨年の「ソニー-」では優勝争いの末に2位、2013年の「クラウンプラザインビテーショナル」では7位と、トップテンの回数も徐々に増え、2勝目の兆しが見え始めている。