米国男子ツアー

ベン・マーティン、小さな積み重ねが生んだ大きなゴール

2014/10/21 10:56

By Sean Martin, PGATOUR.COM

※画像は2014年「チューリッヒクラシック」

米サウスカロライナ州グリーンウッド高校では、No.1プレーヤーではなかったというベン・マーティン。クレムゾン大学への最初の奨学金は教科書代にしかならず、本人いわくゴルフでは同校チームの強豪メンバーを脅かす存在でもなかったため、最初のシーズンは1年遅れだったそうだ。

現在27歳のマーティンは、あらゆるレベルでスター選手というわけでもないだろうが、毎年確実に、そしてじわじわと力を付けてきている。そんな小さな積み重ねが、先日の大きなゴール、すなわち「シュライナーズホスピタルforチルドレンオープン」でのPGAツアー初優勝に結び付いたのだ。

優勝後にチャンピオンの務めとしてポスターやピンフラッグにサインしながら、「心の中に大きなイメージを描き続けてきた」と言ったマーティン。「ゴルフは短期決戦になりうる。先週の僕のスコアを見て、今週勝てるなんて誰が思っただろう。僕は“長期”決戦を意識し、じわじわと軌道に乗りはじめてきたってところなんだ」。

先週の「フライズドットコムオープン」では「78」「79」と、最下位から2番目に終わったマーティン。母校クレムゾン大学のヘッドコーチ、ラリー・ペンリー氏は、スコアがどうであれ、マーティンは常に明るく、笑顔を絶やさなかったと振り返った。

「ベンにとって悪い日など、みたことがない」と、ペンリー氏。

さまざまなスポーツに挑戦したのち、8年生(注:日本の中学2年生に相当)でゴルフに打ちこむようになったというマーティン。とはいえ、地元のグリーンウッド・カントリークラブでボールを打っていた頃はPGAツアー入りなど頭になかっただろう。

「(ゴルフの練習をしたのは)楽しかったから。それだけ」と、マーティン。

大学でもゴルフができるかもしれないと考えたのは、自身が高校3年生の時。彼はクレムゾン大学に入る前の夏、サウスカロライナ州屈指のジュニアプレーヤーの1人だった。そしてプロ入りの可能性を視野に入れたのは、クレムゾン・タイガースでの3シーズン目のことだった。

グリーンウッド高校時代は、同じくクレムゾン大学でもプレーしていたヴィンス・ハットフィールドの後ろでプレーしていたマーティン。のちのPGAツアー勝者カイル・スタンリーも、ゴルフ名門校の1つである同大学でマーティンとプレーしていた。スタンリーは当時すでに、スター選手だった。

「僕を負かし、成長の手助けとなる存在がいたのは良かったね」と、マーティンは当時を振り返る。

クレムゾン大学での4シーズン目を迎えた2009年夏、マーティンはベスページ・ステートパーク(ブラックコース)での「全米オープン」出場権を手にし、「全米アマチュア選手権」ではファイナリストとなった。米オクラホマ州タルサにあるサザンヒルズCCで開催された後者では、アン・ビョンフンに敗れ2位となった。

マーティンが大学での4シーズン目で手にしたタイトルは「ファーマン・インビテーショナル」での1大会だけ。さらにオールアメリカンでは特別賞のチームに選ばれた。

「ベンは本当にスマートなんだ」と、ペンリー氏。「忍耐強いんだよ。プレーへの意欲もある。他のプレーヤー同様、計画に沿った(成長への)プロセスにしっかりと取り組むんだ」。

クレムゾン大学で金融マネジメントの学位を取得したマーティンは、AACC(大西洋岸競技連盟)チームに3度選ばれ、同連盟の大学選抜チームにも3度召集された。

マーティンにとって唯一の劇的な変化は、2010年PGAツアーのクオリファイングトーナメントだった。彼はそこで2位タイとなり、直後にプロに転向。最初の1年はPGAツアーでフルシーズンプレーしたが、フェデックスカップランキングで153位に終わり、シード権を失った。

それから2シーズンはウェブドットコムツアーに籍を置き、マーティンいわく“戦っては向上し、一歩一歩進む”のに時間を費やした。

そして昨シーズンのフェデックスカップランキングでは、自己最高の76位を記録。3位入賞も3度あったが、それは「シュライナーズホスピタル…」優勝前の彼にとってのベスト記録だった。今季のフェデックスカップランキングでは「フライズ…」の覇者ベ・サンムンと共に1位だ。

「自分がどれだけいいプレーができるのか、そしてその結果どうなるのかを見ようと頑張ってきた」と、マーティンは言う。

そして迎えた大会最終日、彼の着実な道のりはPGAツアー勝者の仲間入りにつながった。