2015年 全米オープン

全米オープンを意図して設計された初めてのコース

2015/06/05 13:30

米国Golf Digest誌 2015 全米オープン特集<2>

全米オープン開催を目指して設計されたチェンバーズベイ。その誕生からして“特別”だった(米GolfDigest誌)

2004年1月、ピアース郡長官ジョン・ランデンバーグは、タコマ郊外にある砂利採取場の跡地に再開発するゴルフコースの設計について、諮問委員会とともに落札の最終候補に残った5つの事務所と面接を行った。以下がその顔ぶれである。

ロバート・トレント・ジョーンズII事務所(ロバート・トレント・ジョーンズ・ジュニアとブルース・チャールトンが共同経営)、当時2017年の「全米オープン」開催地となるエリンヒルズを手がけていたハードザン&フライ設計、長きにわたり「全米オープン」開催の最有力候補地と考えられていたポートランド近郊のパンプキンリッジGCを設計したボブ・カップ、当時まだメジャーで勝利していなかったフィル・ミケルソン、そして地元のジョン・ハ-ボトルIII事務所。

ランデンバーグは各事務所に「全米オープン」招致が目標であり、リンクスのようなコースにして欲しい旨を告げた。故に、5候補はそれぞれ「全英オープン」的なレイアウトを想起し、提案した。諮問委員会の推薦意見は割れた。そこで、最終決定権を握るランデンバーグがトレント・ジョーンズ事務所を選択した。

何が決定打となったのか?それは、広く報道されているような、ジョーンズチームがプレゼンの締めくくりとして委員会の各メンバーに、ピアース郡のロゴと“チェンバーズ・クリーク(当時のプロジェクト名)”、“全米オープン2030”の文字が刻印された金属製のバッグタグを手渡したことが理由ではない。

「あれは小粋な計らいだったが、あれが要因ではない」とランデンバーグ。「第一、彼らは15年も想定を間違えているじゃないか」。

ランデンバーグの心を揺らしたのは、トレント・ジョーンズ・ジュニアの持つ多大にしてグローバルな経験だった。彼は既にカリフォルニアや国外でリンクスを手がけた経験を持っていた。その他の候補者にはそうした経験が皆無だった。

着手初日から、「全米オープン」誘致に見合うコース造成へ向けてのプレッシャーは掛かっていた。何事も運任せにしないチャールトンはすぐに、当時USGAの地域ディレクターだったロン・リードと話をし、リードは現在エグゼクティブ・ディレクターを務めるマイク・デイビスとの橋渡しをした。06年1月に工事が始まると、デイビスとリードはデザイナー陣とともに現場を視察した。「ここは可能性を秘めている」とデイビス。「台無しにしてくれるなよ」。

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