米国男子ツアー

【WORLD】夢のルーツ/ジェイソン・デイ ストーリー

2012/05/02 10:21

Golf World(2012年3月19日号) texted by Dave Shedloski

2011年のザ・プレジデンツカップでの一幕。デイは新世代を牽引する選手の一人だ。

「ジェイソンは学校で一番のプレーヤーではありませんでした。ただ、誰よりも一生懸命練習しただけなんです」とスワットソン。その後デイは、オーストラリアの全てのアマチュアメジャーで周囲を圧倒した。

クイーンズランドジュニアに勝ち、サウス・オーストラリアン・ジュニアでは後続に10打差をつける圧勝を飾った。ビクトリアン・ジュニア・マスターズでは11打差だ。2006年、デイはオーストラリアン・ジュニア・ランキングで2度目のトップになった。スワットソンは、デニングに息子をプロ転向させるように説得した。

「彼は次のステップに行く必要があったんだ」。一緒にアメリカに行き、キャディとして、コーチとしてデイを支えている42歳のスワットソン(おそらく最も大切な父親代わりでもある)は言う。

「ジェイソンがアマチュアでいると、大きなプレッシャーがかかるんだ。オーストラリアのために、アイゼンハワー・トロフィーでプレーしたりしなければならなかったから。でも彼は、いつも時代の先を行っている子供なんだ」

スワットソンの勘が正しかったことは証明された。デイは2007年のネイションワイドツアーで賞金ランキング5位となりPGAツアーに昇格した。レジェンド・ファイナンシャル・グループ・クラシックでは通算16アンダー286の記録で優勝し、19歳7ヶ月のツアー最年少優勝記録を打ち立てた。また2010年、HPバイロンネルソン選手権では、オーストラリア人として最年少のPGAツアー優勝を飾る快挙も成し遂げた。

そしてしばらく後に、デイは世界一のプレーヤー(当時、タイガーがそこに居座っていたが)になることが目標だと宣言した。彼の自信過剰ぶりは眉毛に表れている。

「もし、今、誰かがNo.1なると言っても“言語道断”には聞こえないだろう。でも、タイガーがトップにいた時だったから、人々は僕をクレイジーだと思ったんだ」とWGCキャデラック選手権で20位タイとなり世界ランク9位となった後、デイは言った。「僕は今でもトップになろうと思っているし、そのために一生懸命練習している」。

「ジェイソンがNo.1になろうとしているのは知っているけど、そこには大きな決意があるんだ」と説明するのはプレジデンツカップのチームメイトで同じ豪州の仲間、アーロン・バデリー。「最も素晴らしいのは、彼の頭の中は正しい方向に向かってスクリューが回っていて、優先順位を順序よく立てていることなんだ」。

Golf World(2012年3月19日号) texted by Dave Shedloski≫
1 2 3 4