【WORLD】夢のルーツ/ジェイソン・デイ ストーリー
Golf World(2012年3月19日号) texted by Dave Shedloski
少年は、ゴルフボールが少なくなるといつも、自宅からマウンテンバイクのペダルを30分もこいでカプリコーンCCへと向かった。オーストラリアはロックハンプトンのフィッツロイ川近くのの不毛な土地にある12ホールのパブリックコース。豊かな才能に恵まれた彼は、たびたび下着一枚になって、フェアウェイのそばにある小さくて浅い池を裸足で歩き、泥をさらった。両手に持ったゴルフボールより、多くのヒルが体についたまま、姿を見せることも度々だった。
「うん。ひどいもんだったよ。僕がゴルフを始めた頃は」とジェイソン・デイは、クイーンズランドの“ゴルフ狂”として大きくなったティーンエイジャーになる前のことを振り返った。「でもね、ボールのほとんどはひどかったけど、練習で使うことはできたんだ。バラタのようにいいやつを見つけたときには、トーナメントのために取っておいたんだ。(今のように)誰かが欲しいボールをタダでくれることなんて想像もできなかった」。
貧困から金持ちになるサクセスストーリーは、表に出てこないものが多い。けれども、デイがかねてから頭に描いていたことのひとつには、世界ランク1位のプレーヤーになるというもの。投資が益を生み出すように、努力は公平に報われると信じ、彼はゴルフにすべてを注いでいた。
デイはまだ、その目標を達成してはいない。しかし2011年の最初のメジャートーナメント2つ(マスターズ、全米オープン)で2位になったことが大きく影響して最高で世界ランク7位まで順位を上げ、前へ前へと突き進んでいる。
2004年にオーストラリアのほぼすべてといっていいアマチュアのメジャー選手権と、サンディエゴのキャロウェイ・ワールド・ジュニア選手権に優勝した彼は、24歳の今も、その可能性を向上させていく過程にある。もちろん、ロリー・マキロイ(デイより2歳若いが、コングレッショナルCCで行われた昨年の全米オープンでは2位に8打差をつけて優勝した。その2位がデイだった)に代表されるような、同世代の仲間たちもいる。デイにはまだまだ将来があり、前向きに生きていくことができるのだ。
その一方で、ここには彼がゴルフをやめて、最高に“のんべえ”な12歳になろうとした時の短いエピソードがある。
デイ自身が当時を振り返る。「学校へ行った。でも行かない日もあった。学校が終わる。ケンカをする。ケンカを終えて家に帰る。友達のところへ行って、何もなくなるまで冷蔵庫をあさる。パーティに行って、みんなが飲んでいるから一緒になって酒を飲む。そして家に帰る」。
一体どういうことなのか。そう、これは父アルビンが、53歳の若さで胃ガンのためこの世を去ったあとのことだ。肉をパッキングする仕事場から古ぼけた3番ウッドを家に持ち帰り、3歳の息子ジェイソンに与えたのはアルビンだった。息子はすぐにそれでテニスボールを打ち、庭の端まで飛ばして見せた。天才だった。
アルビンは息子の興味を育て、何とかビューデザートGCのジュニアメンバーに押し込んだ。ある日、彼はジェイソンに最初のクラブセットを買った。「僕は9歳だった。最高の日だった」。それまで(子供用に)シャフトを切った5本のクラブを使っていたデイは言う。「パワービルト、オデッセイ、2000のクラブがオレンジのバッグに入っていた。質屋で買ってもらったんだ。僕は天国にいるみたいだったよ」。
その息子を(ダークヘアのかわいいルックスでも)ナメられることなく、ブレることなく練習する姿勢を持ち、恐ろしいほどの才能を持つように育てたのは、母デニングだった。フィリピン出身のデニングは、アルビンからラブレターで求愛され、その3人目の妻となった。
ジェイソンは、アルビンの7人の子供の末っ子(2人の姉と3人の異母姉、1人の異母兄がいる)で、両親の愛情を一身に集めていた。そう。デイと、彼に影響を与えたプレーヤー、タイガー・ウッズの育った環境が似ていることは否定できない。