【WORLD】夢のルーツ/ジェイソン・デイ ストーリー
Golf World(2012年3月19日号) texted by Dave Shedloski
デニングは、デイの全てのラウンドについて歩く人々のひとりだ。「僕は母のおかげで精神的に他の選手よりも強くなった。彼女はは小さいけど厳しいし、すごくタフなんだ。多くをしゃべらずに、ただじっと見つめるだけなんだ。すると、彼女が何を考えているかがわかる。いつも僕に『どこに行っても一生懸命やらなくちゃいけない、すべてのことを100パーセントでやりなさい』って言っていたんだ」。
「息子はゴルフを良く分かっています。でも私は人生がどうなるのか分かっていました」とデニング。昨年、メルボルンで行われたザ・プレジデンツカップで、インターナショナルチームの一員だったデイが1勝2敗1引き分けに終わりチームが負けた時に語った言葉だ。「彼は小さい頃、ごく普通の子供だったんです。ただ、ゴルフに関しては他の子供たちとはすべてが違っていました」。
一家は、ビューデザートからロックハンプトンに引越し、デイはほとんど毎日、学校から急な山道をクラブをかつぎ、自転車でカプリコーンCCへ通った。コースへ行かないときは、庭でプラスティックのボールを打ち、スライスやフックをかけることを学んだ。このことが彼にジュニアの試合での自信を与えていた。ワンボール・ルールがあったため、池で見つけたたったひとつのバラタボールをなくさないように気をつけながらプレーしていた。こんな風に、自分のプレーをマネージメントすること、そしてボールを守ること、そしてスコアを作ることを学んだのだ。
「私たちが想像した通りでした。彼はトップレベルになったんです」と母は振り返る。それゆえ、アルビンの死後、ジェイソンの反抗的な態度を見たときには彼女はとても悲しんだ。夫の死後6ヵ月が経ち、彼女は(財産に)第二抵当権までつけるという厳しい選択をし、ゴルフのレッスンがあるクーラルビン・インターナショナル・スクールに息子を送り込んだ(そこには、先輩にアダム・スコットもいた)。話し合いの末、ジェイソンの姉ユンナが、スーパーで働いて家族を助けてくれることになった。
するとデイはすぐに、クーラルビンのコーチ、コリン・スワットソンの影響を受けた。スワットソンは当時を振り返って言った。「最初の日に、私は子供たちをハンディキャップや能力を考えて、グループ分けしたんだ。ジェイソンのグループが、ショートゲームエリアで練習していた時だった。ジェイソンは『そんなことしたくない。コースに出たいんだ』と言っていなくなってしまった。でもね、アカデミーが終わってから彼は私のところに謝罪にやってきて『間違っていました。あなたが一番良い方法を知っているのだから、従うべきでした。もうしません』と言ったんだ。子供が自分の過ちを認めたんだよ。彼は違うな、と思ったよ。勇気があって、人を信頼できる。彼は我々を信頼していたんだ」。
1年後、クーラルビンを出ると、デイはスワットソンを慕い、ブリスベンの南、ジムブーンバにあるヒルズ・インターナショナル・ゴルフ・アカデミー(ここは自宅から列車で7時間かかる)に入った。まだ一文無しだったが、練習する時間だけはたくさんあった。そんな頃、学校の友達に借りた本に刺激を受けて、エクセルで文章を書いた。タイトルは「タイガー・ウッズ」だった。
「タイガーの本を読み終わった時、彼が僕の年齢の頃に何をしていたかが分かったんだ。信じられなかった。僕はスクラッチに近いプレーヤーですらなかった。そして母と姉たちが僕のために何を犠牲にしてくれているかを理解した。とにかく、一生懸命練習すれば、母と姉たちが僕に失望することはないと思った。与えられたこの機会を無駄にするようなことはしたくないって。社交的な生活は何もなかったね。女の子と遊ぶ時間、他の時間もない。自然の中で過ごした時間みたいだよ。でも、それが好きだったんだ。何物にも変えられなかった」。
「ジェイソンの友達は、悪事をやめるか、監獄行きになっていました。彼のお母さんはジェイソンを周囲から引き離したかったのです。彼女は難しい選択をしたのです」とスワットソン。
デイはゴルフにどっぷりと浸った。学校に行く前、午前5時から練習し、ランチの後、戻ってきて暗くなるまでまたプレーした。他の子供たちが自宅に帰るオフの時すら、デイは一日中、練習していた。母親の言葉が心を揺さぶっていたのだ。「一生懸命やらなければ、成功しないのよ」。