2012年 マスターズ

石川遼“20歳のマスターズ” vol.1 ~2009年 感動の夢舞台~

2012/03/27 17:34
初出場を果たした2009年。公式会見に呼ばれるなど、現地でも注目の存在として迎えられた石川遼

「20歳でマスターズ優勝」―。8年前、小学校の卒業文集に大志を記したひとりのゴルフ少年は、その後わずか数年のうちに、日本を、アジアゴルフ界を牽引するトッププレーヤーとなった。2007年5月。ほんの2か月前まで中学生だった石川遼は、15歳で日本男子ツアーを制し、瞬く間に時の人となる。翌年には16歳でプロ転向。恐ろしいほどの成長曲線で周囲を驚愕させ続け、2009年4月、17歳でオーガスタナショナルGCに立った。

あれから3年、いよいよその節目である「20歳のマスターズ」を迎えるこの2012年だが、過去3度の出場で味わった喜び、悔しさ、経験は計り知れない。緑のじゅうたんに咲いた笑顔、そしてこぼれ落ちた涙を振り返る。

2009年 初出場「毎ホールで感動の嵐」

プロ転向初年度の2008年、16歳のゴールデンルーキーは周囲の予想をはるかに上回る戦績を残した。国内ツアー開幕戦の「東建ホームメイトカップ」でいきなり5位に入ると、夏場にはあっさりと来季のシード権を決定付ける。そして17歳になった秋、「マイナビABCチャンピオンシップ」でプロとして初優勝をマーク。賞金ランキング5位に入る活躍を見せ、たちまち日本を代表するプレーヤーのひとりとなった。

そして吉報が届いたのは翌年1月22日。まずは自宅の電話にマスターズ委員会から連絡が入った。その3日後の25日、ポストに届いた招待状は家族が見守る中で封を切った。「心の底から感動した」。前年度末の世界ランクは60位だったが、特別招待選手として出場が決定。日本人史上最年少でオーガスタナショナルの芝を踏むことになる。

その後、米国PGAツアーデビューを果たした2月の「ノーザントラストオープン」から3試合に出場し、オーガスタ入り。マグノリアレーンを通り、初めての練習ラウンドを終えると「毎ホールで感動の嵐でした」と夢心地を味わった。大会前には公式会見にも出席。ロリー・マキロイ(北アイルランド)、当時アマチュアのダニー・リー(ニュージーランド)とともに注目の若手として大きな注目を集めた。

初挑戦は予選落ちに終わったが、“20歳でマスターズ優勝”という夢への第一歩を踏み出した(David Cannon/Getty Images)

迎えた予選ラウンドはマキロイ、アンソニー・キムと同組でプレー。憧れのタイガー・ウッズの直後の組でプレーした。すると初日、「1ラウンド4バーディ」という毎試合の自分ノルマを超える5バーディを奪取。6ボギーをたたいて「73」の1オーバー、51位タイと予選通過(44位タイ以上、もしくはトップと10打差以内)に望みを持った状態で2日目を迎えることになった。

ところが史上最年少予選通過記録の樹立がかかったその第2ラウンド、前半に2つスコアを落として後半インを迎えてしまう。15番(パー5)をバーディとし、終盤の巻き返しを狙ったが、16番(パー3)ではティショットをグリーン右手前のバンカーに入れたのをきっかけに、ダブルボギー。決勝ラウンドが遠のく中、続く17番もダブルボギーをたたいて「77」と崩れ、通算6オーバーの73位タイ。2日間で大会を終えた。

最終18番のバンカーで頭に浮かんだのは「いま、僕はどこにいるんだろう?」という現実味の無い思い。「砂と、ボールと、自分以外何もなかった。ピンもグリーンも見えない。空しか見えなくて悔しくなった」。歓声がこだまするオーガスタの中で、我に返り、成長の糧とすることを誓った。

またこの大会では片山晋呉が通算10アンダーで日本人史上最高位の単独4位に入賞。優勝したのはプレーオフを制したアンヘル・カブレラ(アルゼンチン)だった。

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