2012年 マスターズ

タイガー・ウッズ 復活の軌跡

2012/03/27 19:07

<謝罪>

会見場の最前列に座っていた母クルチダさんは終了直後、涙を流して最愛の息子を抱き寄せた(Pool/Getty Images)

2010年を迎え、欧米ツアーのシーズンが開幕した後も、ゴルフ界最大のトピックスはタイガーの暴かれた過去、そして未来の行方だった。そんな10年2月19日、堕ちた王者はフロリダ州TPCソーグラスのクラブハウスで謝罪会見を開いた。ゴルフチャンネルが緊急生中継という異例の措置をとる中、約15分の声明発表の中では「責任はすべて私自身にある」とコメント。それでも質疑応答の時間が設けられず、会見に出席を許された関係者や報道陣は、これまでタイガーと懇意にしていたいわゆる“与党”の面々であり、また、契約を失ったアクセンチュア社主催のマッチプレー選手権開催中の出来事でもあり、批判も少なくなかった。

<再起>

出場自粛を続けていたタイガーが復帰戦に選んだのが、2010年4月の海外メジャー初戦「マスターズ」だった。厳格なオーガスタナショナルGC、そして伝統のメジャー初戦はゴルフメディア以外の報道陣をシャットアウトできる環境でもあった。大勢のパトロン、ファンの前に姿を現し、再び謝罪したタイガー。マスターズ委員会のビリー・ペイン・チェアマンは叱責を浴びせつつも「彼の将来はどれだけロースコアで回れるかという能力で判断されるのではなく、変わろうとする彼の努力と誠意によって判断されるだろう」と“エール”を送った。結果は最終日をトップに4打差の3位で迎えたが、結局4位タイでフィニッシュ。愛妻家として知られるライバルのミケルソンが3度目の優勝を飾った。

<悶絶>

2010年「ザ・プレーヤーズ」最終日。6ホール終了後に棄権し、クラブハウスを後にするT.ウッズ (Scott Halleran /Getty Images)

マスターズをきっかけに、タイガーはゴルフコースを再び歩き始めた。だがその道はキャリアの中でも経験したことの無いような苦悩に満ちたものだった。復帰2戦目の「クエイルホロー選手権」では予選落ち。「ザ・プレーヤーズ」では途中棄権し、その後も優勝争いに加わることができず、8月の「WGCブリヂストンインビテーショナル」では「77」の大叩き。新たにショーン・フォーリーをコーチに迎え、スイング改造に取り組んできたが、優勝争いさえできない週が続いた。そしてついに11月、世界ランクトップの座をリー・ウェストウッドに譲り、5年半ぶりに王座から陥落。なお、それに先んじて2010年8月23日には公式ホームページでエリン夫人との離婚を発表している。

<再発>≫
1 2 3

2012年 マスターズ