ツアープレーヤーたちの素顔<合田洋選手>
94年の日本プロ。ジャンボ尾崎と争って、最終ホールでバンカーからパターで打つ奇策で初優勝を勝ち取った合田洋は、1964年10月10日生まれです。
それはおりしも、東京オリンピックの開会式の日。日本中の注目が、東京・国立競技場に注がれているとき、その歴史的瞬間を見ることができなかったお母さんには、今でもことあるごとに「あんたのせいでねえ・・・」と、冗談まじりでこぼされるそうです。
まさに“スポーツの申し子”とも言える記念の日に生を受け、プロゴルファーとなった合田ですが、実は人前でゴルフをするのは、とっても苦手なのだとか。
「・・・すごい恥ずかしがり屋なんですよ。ギャラリーの皆さんの前でプレーするのも、たとえて言うなら、裸でおもてを歩いているような・・・(笑)。いっそ誰にも会わなくても済む“物書き”とかそういう仕事につきたいくらいなんです」と、苦笑いで打ち明けます。が、とは言いつつも「僕には、ど根性しかない」と次の2勝目を目指して懸命にゴルフに取り組んできたこの9年間でもありました。オフは毎朝5時起きのランニング、厳しいトレーニングで身体をいじめ抜き、心身ともに鍛えることは怠りませんでした。
その努力の成果が、ようやく実りつつあります。先週のアジア・ジャパン沖縄オープンでは強い風が吹く中、粘って2位タイ。同大会の獲得賞金は来シーズンにカウントされる、いわば2004年の第1戦で幸先の良いスタートが切れたのです。
日本プロで得た10年シードは、来年限りで期限切れです。あのとき、最終ホールで使ったパターは、今も大事に取ってあります。握手を求めてきたジャンボの胸に崩れるように寄りかかって男泣きしたシーン。「・・・まさか!! あれは僕じゃない。男は嬉しい時には泣かないもんです」と、照れながらとぼけた合田。
「来年こそ、もっともっと精神を鍛えなおす」と気合を入れなおしたその先に、2度目の歓喜の涙が待っています。
※日本ゴルフツアー機構が発刊しているメールマガジン(プレーヤーズラウンジ)より転載しています。