中島啓太の歩みとオーガスタとの出会い「悔しい思いが収穫」
◇メジャー第1戦◇マスターズ 最終日(10日)◇オーガスタナショナルGC(ジョージア州)◇7510yd(パー72)
ピンと背筋を伸ばし、あごを引いて歩く様子は昔から変わらないそうだ。だから涙でどれだけ目を腫らしても、中島啓太からは精悍さが漂う。凛とした立ち姿は、夢のオーガスタでも同じだった。
その名前が全国区になったのは7年前、兵庫県で行われた2015年「日本アマチュア選手権」。快進撃を遂げたのは、あどけなさが残る中学3年生だった。「正直言って、大会の規模の大きさも知らなかったんです。(予選になる)関東アマで落ちたのに、(日本アマの)100回記念の“敗者復活戦”にエントリーしたら通ることができて」
何かの導きによるものか。中島はマッチプレーで争う決勝トーナメントで有望な大学生をなぎ倒し、あれよあれよという間に準決勝を突破。だが、続く日本一を争う最終マッチで10&9の大敗を喫した(36ホール)。「体がもうボロボロで、体力もなくて。ちょっとあれは残念でした」。相手は当時高校2年生の金谷拓実だった。
「本当に見た目から細い選手でした」と振り返るのは長年、日本ゴルフ協会(JGA)をサポートし数多くの選手を見てきた栖原弘和トレーナー。初めて会った高校1年生のときの中島は、同年代に比べて上背こそあったが、他の球技にも熱中してきたような学生と比べると「基本的な筋力などは決して優秀ではなかった」という。
ジムでのデッドリフト、スクワットトレーニングは、重量を40kg程度に設定しフォームを固めることからスタートさせる。重りを外した20kgの鉄製のバーだけで行うビギナーも多く、中島もそういった選手のひとりだった。
◆遊びの延長に日の丸
そもそも6歳でゴルフを始めてから、中島にとってゴルフはいくつかある遊びのひとつでしかなかったという。ラウンド中のスコアにはこだわらず、初めて「100」を切ったのも、アンダーパーを記録した時も場所も記憶に残っていない。「僕は両親にゴルフを強要されませんでした。やりたいと思ったときに練習をやっていた」。埼玉の実家近くの練習場は、別の“習い事”だったピアノの教室や、空手の道場と変わらなかった。
「遊びの延長」だったゴルフに生涯を捧げるきっかけになったのが、栖原トレーナーらと出会うナショナルチームだった。金谷らと17歳以下(U-17)のメンバーに選出されたのが2016年。日本アマでの準優勝、管轄する日本ゴルフ協会(JGA)がヘッドコーチのガレス・ジョーンズ氏らをオーストラリアから招聘した翌年のことだった。
◆まっすぐな性格
ジョーンズコーチの薫陶を受けた2人はチームを引っ張る存在になり、中島は2018年「アジア大会」個人・団体で金メダルを獲得、プロツアーでも名を馳せるようになった。体力的に秀でたものが少なかった一方で、彼には「きれいなスイング」と「人の話をよく聞く」力があったと栖原トレーナーは言う。痩せやすい体質。油断すると落ちていく体重は、腸の吸収力よりも優れているかもしれない、頭脳のそれで補ってきた。
受けた教えを“うわべ”でないところで深く理解し、忠実に実行する素直さ。デッドリフト、スクワットで使うウェート重量はいまや、ナショナルチームのなかでトップの120kgになった。「全力で準備してきた」というマスターズの期間中も、日本で普段使いするトレーニングジムのオーガスタ近郊の支店に通い、コンディショニングを怠らなかった。
ジョーンズ氏、そしてキャディを務めたショートゲームコーチのクレイグ・ビショップ氏とのセッションは細部にわたる。ゴルフ規則の改定で、グリーンの傾斜を図る水平器の使用が今年から禁止された。そもそもマスターズは以前から機械等での傾斜計測を許可していない。中島は「グリーン上の情報を集めきれない」と事前に憂慮していたが、「それでも『できることはある』とジョーンズさんと話をしている」と気丈だった。
期間中に過ごしたチームのレンタルハウスの外の通路で、ジョーンズ氏は水平器を使い、各エリアの傾斜を調べた。中島はコーチが指示した場所に立ち、両足裏から神経を研ぎ澄ませる。計測された実際の地面の傾きと、選手自身の平衡感覚をすり合わせる練習はそんなところでもできた。
◆キャプテン
日の丸を背に、ゴルファーとしての身体と感覚を養ってきた傍ら、中島は日常生活を通じて心も育んできた。代々木高校を卒業後、日体大に進学。ゴルフ部に入部した当初、ミーティング中の新入生のあいさつで「学生のうちにマスターズに行くことが目標です」と宣言した。その言葉を失笑する部員はいなかった。あの春の「オーガスタに連れて行ってくれ」という江原清浩監督の願いは3年後にかなった。
最終学年の今年は部のキャプテンに指名された。今回、日本を発つ2日前まで栃木での合宿に参加。ゴルフ場の予約、練習メニューやスケジュール調整は中島の仕事。部員への連絡事項で「あいさつをすること。目土をしっかり」といったマナーを説くテキストメッセージを送り、4人の副キャプテンとともにチームをまとめてきた。
6月の「全米オープン」、7月は「全英オープン」に出場し、秋にはプロ転向が控える。遊びだったゴルフは、数カ月後には仕事になる。すでにマネジメント契約や用具使用契約を結んだことを加味すれば、すでにプロの世界に足を踏み入れていると言っていい。ただ、立場はどうあれ、真摯に向き合ってきた「準備」と「チーム」への純粋な思いは無駄にできない。
アジアパシフィックアマチャンピオン、世界アマチュアランキング1位として出場したマスターズ。予選落ちに終わり、悔しくて、やっぱり泣いた。泣けるほど準備してきたから。「悔しい思いが、一番の収穫」。近い将来にもう一度、これからまた何度も、オーガスタを凛として歩く。(ジョージア州オーガスタ/桂川洋一)
■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール
1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw