3位に終わった佐藤信人 復活への光明
千葉県の鷹之台カンツリー倶楽部で開催された国内男子メジャー第3戦「日本オープン」は、韓国のベ・サンムンの日本ツアー3勝目で幕を閉じた。6アンダーの単独首位からスタートした佐藤信人の9年ぶり、通算10勝目はならなかった。
3日目に、あれだけ冴えたパッティング。ピンチをことごとく切り抜けてきたグリーン上で、最終日は苦しんだ。前半3番で1メートルを外し、ボギーが先行。7番で2つ目のボギーを叩き、10番ではティショットを左の林に打ち込んだのをきっかけにダブルボギーとし、ついに単独首位から陥落。大混戦のサンデーバックナインを呼んだ。
終盤に訪れたチャンスは14番、16番。だがいずれも3メートルのバーディパットを外した。そして1打差を追って迎えた最終18番。残り180ヤードのセカンドショットはピン手前2.5メートルにつけてみせた。だが三つ巴のプレーオフ進出をかけた運命の一打は、フックラインに乗らず無情にもカップ左をすり抜けていった。
大きな拍手の間を縫って、18番グリーンを去った佐藤。「悔しいのと、充実感と、終わってホッとしている気持ち」。年間3勝を挙げた2002年以来の勝利、そして4度目の日本タイトル獲得はならず、うつむきながら話した。
だが、単独3位に入ったことで、1540万円を獲得。来季の賞金シード獲得がほぼ確実になった。「こういうのは、突然やってくるんだな…と思う」とかみしめる。
苦悩の種であるパッティング・イップス。だが「今日はしびれていた。でもシビアなパットも入った」と解消へ大きな手応えもある。最後のバーディパットも狙い通りのラインに打ち出せた。しかし「徐々にでしょうね。徐々に、徐々に…。それに急に治らない方がいいと思っているんです。今日みたいな経験をして、これからもうまく付き合っていきたい」と言った。大きいが、一度の成功体験で完治するとは思わない。長く、長く苦しんできたからこその言葉だった。
3年ぶりにシード選手として戦う来シーズン。その直前、今年12月には待望の第一子が誕生予定。トッププロとしての再スタートの舞台は整いつつある。
敗れはした。だが少年時代から過ごしてきた地元・千葉市での一戦。復活を期待したギャラリーや知人に見守られ、大声援を受けて戦った。そのことを思い出すと、言葉を詰まらせた。咳払いをして、声が震えるのを必死に隠して言った。「本当に、声援がすごくありがたかった。これがツアーの良さだなと思った」。喜びの涙は、もう少し後にとっておく。(千葉県千葉市/桂川洋一)
■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール
1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw