マスターズについてあなたの知らない20の事実
ジェイミー・ケネディ&ウィル・ピアソン(europeantour.com)
2015年の「マスターズ」まであと1週間ちょっととなった今、europeantour.comではオーガスタナショナルと一年で最初のメジャー大会について、貴方を驚かす事実と数字をここに紹介することにした。
1) 大統領がらみの人質騒ぎ
1983年に当時大統領だったロナルド・レーガン大統領は、ジョージ・シュルツ国務長官のゲストとしてオーガスタナショナルでプレーをした。オーガスタ在住のチャールズ・ハリスは大統領を一目見ようと、トラックでクラブの門に突っ込み、大統領たちのラウンドを妨害。その後、2時間にわたり人質を取ってプロショップに立てこもったが、シークレットサービスに取り押さえられた。
2) キャディに無料開放
毎年、夏期休業に入る前の最後の一日は、オーガスタナショナルのキャディは無料でコースをラウンドできる。それも一日中プレーし放題。
3) オーガスタの19番ホール
アリスター・マッケンジーがオーガスタナショナルを造った際、コースには“ダブル・オア・クイッツ”という名の賭け事用の短い19番ホールが存在した。これは90ヤードのホールで、コースで唯一、木や草花に由来しない名前を持っており、1934年に開催された「マスターズ」の第1回大会では練習グリーンとして使用された。
4) アーメンコーナーは11番、12番と13番ホールではない
これは一般的な事実誤認である。アーメンコーナーとは、正確には11番の第2打以降から、象徴的なパー3の12番の全て、そして13番のティショットまでのことである。
5)意外と手頃だったオーガスタ
オーガスタナショナルの最初のメンバーシップの料金は350ドルだった。これは現在の物価に換算すると約4000ドルとなる。
6) チャンピオンズディナーの神話
大会開催週の火曜の晩に開催される、有名なチャンピオンズディナー(王者の晩餐)では、「マスターズ」の前年王者がメニューを決めるわけだが、かつての王者たちはこの指定された料理を必ずしも食べる必要はない。優勝経験者たちはクラブハウスのメニューから別の料理を注文することが可能であり、実際に多くはそうしている。1988年に「マスターズ」を制したサンディ・ライルは、翌年の晩餐にハギス(スコットランドの伝統料理)を振る舞ったのだが、大会6勝のジャック・ニクラスは、「彼が楽しんでくれればいいね」と答えている。
7) クリフォード・ロバーツ
83歳で病に倒れたオーガスタナショナルの創設者の一人、クリフォード・ロバーツは、1977年に心から愛した場所であった、パー3のコースのアイクの池の隣にある坂道でその生涯を閉じた。
8) パー3コンテストの呪いに対する反論
大会前のパー3コンテストに優勝した選手は、これまで一人として「マスターズ」本戦を制していないというトリビアは広く知れ渡っているが、これまで4人の選手がこの9ホールの勝負を制した上で、同年のメジャー優勝を成し遂げている。トム・ワトソン(1982年に「全米オープン」と「全英オープン」を制覇)、ヒューバート・グリーン(1985年に「全米プロ」を制覇)、デビッド・トムズ(2001年に「全米プロ」を制覇)、ルイ・ウーストハイゼン(2010年に「全英オープン」を制覇)である。まんざら悪いことばかりではないようである。
9) マスターズのドラコン
1960年にパー3コンテストが恒例行事となる前は、「マスターズ」に出場する選手たちは開幕前にドラコン大会とショットの正確性を競う大会、そしてベストボール方式の試合を行っていた。
10) 初日のリーダーは要注意
78回を数える「マスターズ」の歴史の中で、初日から首位に立つ“ワイヤ・トゥ・ワイヤ”でグリーンジャケットを勝ち取ったのは4人のみである(クレイグ・ウッド、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラス、レイモンド・フロイド)。オーガスタではここ38年、“ワイヤ・トゥ・ワイヤ”の勝者は現れていない。
11)ジェフの神業!
これまで「マスターズ」の歴史のなかで、24回のホールインワンが達成されているが、距離の長いパー3の4番ホールでのホールインワンは1度のみである。米国のジェフ・スルーマンが1992年大会で、この“フラワーリング・クラブ・アップル”と呼ばれる213ヤードのホールを4番アイアンの1打でホールアウトし、大会史上最もレアなホールインワンを達成した。
12) ベストボール方式
これまでの「マスターズ」の歴史のなかで、各ホールのベストスコアで1ラウンドのスコアを合算すると「32」となり、前後半それぞれ16打ずつしか要さないことになる。これと逆の、ワーストスコアの合算は「166」となる。
13) ファンタスティック4
「マスターズ」で30ラウンド以上した経験のある選手で平均スコアがアンダーパーなのは次の4人のみである。タイガー・ウッズ(70.86)、フィル・ミケルソン(71.21)、フレッド・カプルス(71.91)、ジャック・ニクラス(71.98)。
14)広告禁止
「マスターズ」はコース上の広告を禁止していることで有名である。ビールや清涼飲料水のトラックが各スタンドで販売する品物を納入するため敷地内に入場する際、ブランドのロゴなどが入ったトラックのサイドパネルは「マスターズ」のグリーンのロゴに覆われることになる。
15) 9ホールの前後入れ替え
オーガスタナショナルのフロントナインとバックナインは、1934年の「マスターズ」第1回大会の際に前後が入れ替えられ、今の形になった。ただし、記録によると、当初アリスター・マッケンジーは現在の構成を構想していたようだが、1931年の造成工事に先立ち、プランを変更しており、これは18番ホール(現在の9番ホール)を新しく造るクラブハウスに近い方に設定するためであったと考えられる。その後、インとアウトは現在の形に入れ替えられたわけだが、これはコース上の最も低い地点(現在の10番と12番)における霜と水はけの問題に起因する。この入れ替えにより、スタート時間を早めることができるようになった。また、終盤に向けてドラマが発生しやすくなったのも、言うを待たない。
16) マスターズを一度も観戦できなかったアリスター・マッケンジー
オーガスタ設計を手がけたアリスター・マッケンジーが最後にオーガスタを訪れたのは1932年の夏のことである。彼は第1回「マスターズ」が開催された3カ月前の1934年1月6日に死去した。
17) マスターズのインフレ
「マスターズ」の第9回大会までの優勝者はそれぞれ1500ドルの優勝賞金を手にした。2014年に優勝したバッバ・ワトソンは162万ドルを手にしている。これは優勝賞金がこの81年の間に10万パーセントも跳ね上がったことを意味する。
18) ボビー・ジョーンズの苦戦
「マスターズ」の創始者として知られるボビー・ジョーンズだが、彼は一度もトップ10入りを果たしていない。「マスターズ」に11回出場した彼の最高成績は、1934年の第1回大会で記録した13位である。
19) 裸足のサム・スニード
オーガスタでサム・スニードと同等の成功を収めた選手はほんの一握りである。“スラミン・サミー”の異名を取るスニードは44回の「マスターズ」出場で、3勝しているほか、15回のトップ10入りを果たしている。ちなみに、1942年大会では、この米国人選手は自身のゴルフにしっくりきていなかったため、9ホールを裸足でプレーしている。その際、スニードは7位で大会を終えた。
20) 元祖
「マスターズ」は4日間かけて72ホールをラウンドする形式で行われた最初のゴルフ大会である。また、オーバーパー/アンダーパー形式の元祖でもある。