逃げきって真板潔、ツアー初優勝
トップでスタートした桧垣繁正がズルズルとボギー街道を転落し、なんと貯金を7つも減らした。怖い存在だった谷口徹もいまひとつ伸びない。レイコックも上がってこない。ただ一人、6位スタートだった今野康晴がバーディを積み重ねて11アンダーペース。
「1回くらい優勝をしてみたい」とつぶやいていたプロ生活15年、真板潔にようやくチャンスがめぐってきた。しかしその真板も16番で落とし、18番もまたボギー。だが唯一の脅威だった今野もまた18番をボギーとしていた。からくも1打差で真板がツアー初勝利。
横浜の高校ではバレーボールの名セッターとして鳴らした。しかしゴルフに志してからプロテスト合格するまで6回失敗した。ようやく85年にプロ入りし、90年にシード獲得。しかし93年にシードを落とし、すぐ翌年に復活。初のシード入りから11年間、チャンスがなかったわけではないが、ツアー未勝利。長い例では渡辺司が9年かかっている。米山剛の場合は11年。その米山と同じ11年目にしてついに念願の優勝を手に入れた。
真板潔の前半はスコアカード通りだった。「辛抱することができた。(11番、14番バーディのあと)15番あたりからバタバタしてしまった。こんなゴルフで優勝していいのかな・・という感じでした」
1打リードで迎えた18番、力が入った。「バンカーでもいいと思って打ったのだが、引っ張ってしまった。今野選手との差(この時点では2打差)がわからなかったんで、プレーオフでもかまない、という気があった。3打目は嫌らしいライのラフ。4打目のSW(約6メートル)を打ってほっとしました。もうダボでもいいや、という心境だった」
前の組の展開がわからないのが辛かったという。自分たちの組(湯原、桧垣)は「バーディに見放されている」状態だった。結果的に上がって1打差。優勝はできたが「今後はもっとショットをしっかりさせないと・・・。こんなゴルフでは課題がいっぱいです」
思い起こすとプロ初試合がこのサントリーオープンだった。シードを決めたのもやはりサントリーだったという。「特別な思いがある試合です。思うこともたくさんある。自分も40歳という年齢になったし、親も70歳を過ぎたし・・・。ゴルフを始めたキッカケは父に練習場へつれていってもらったことなんです」
惜しかった今野康晴。「優勝(ミズノ)してしまうと気が抜ける。もっと練習してもっと調子を上げないといけない。今は決して調子がいいわけではないので、このスコアが出たのは次のワンステップへ行けるということだと思います」
谷口徹。「フェアウェイキープすればなんとかなると思ったんだが・・パーセーブするのがやっと。新聞の占いはとても良かったんだけど。占い通りにはならないなー・・」