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WGC キャデラックマッチプレー
期間:04/29~05/03  場所: TPCハーディングパーク(カリフォルニア州)

<選手名鑑155>パドレイグ・ハリントン(前編)

2年ぶりの「マスターズ」出場権も獲得。7季ぶりの米ツアータイトルを手にしたP.ハリントン

■ 楽しくフレンドリーな男 ある人物を除いては・・・

少し甲高い声で「イャー」――パドレイグ・ハリントン(43)が話しはじめる前の口癖だ。言葉ではなく擬音で、日本語で言えば「あのー」という感じだ。ゴルフで例えればスイング前のワッグルのようなもの。僕の友人にも同じような導入句から話し出すアイルランド人が多い。

誰とでも気さくに話すフレンドリーな男は、2001年に御殿場で開催された「ワールドカップ」出場のために来日し、日本を心から楽しんでいる様子だった。彼とは不思議なほど、いろいろな場所でバッタリ会う。フライトの経由地や空港でも、また!というほど縁があるのだ。気さくな彼だが、好き嫌いがはっきりしていて、ソリの合わない人物とは口もきかない。それは南アのレティーフ・グーセン(46)だ。過去トラブルの傷口が広がり、欧州ツアーの前コミッショナーが仲裁に入ったほど。現在も関係改善はないままと聞く。

一方、仲良しは南アのティム・クラーク(39)で、常に一緒に行動している。ある年の「ザ・プレーヤーズ選手権」でのことだった。僕は開催地フロリダ州ジャクソンビル空港で荷物が出てくるのを待っていたら、ハリントンが携帯電話をチェックしながらクラークと一緒にやってきた。僕に気がつき「また会った!」と談笑をかわし、再会の記念撮影を楽しんだ。ハリントンはファンへの心遣いも細やかで感心することも度々。今も続くグーセンとの確執が今も信じられないくらいだ。

■ 数々のスーパー快挙

実績を挙げはじめると選手は“天狗”になりがちだが、ハリントンはメジャーチャンピオンになっても普通どおり、マイペースさは変わらない。彼の栄光の軌跡を辿ってみよう。

2002年は、2年連続で平均ストローク1位。賞金ランクも2年連続2位で、賞金王のチャンスがありながら惜しくも逃したほどの活躍だった。2006年にデビッド・ハウエル、ポール・ケーシーをおさえ、逆転で初の賞金王を戴冠。2位の回数も多く「万年2位の男」と言われた時期もあった。2006年最終戦の「ボルボマスターズ」での2位が、自身30回目の“2位”だった。2007年、カーヌスティーで開催された「全英オープン」で、セルヒオ・ガルシアをプレーオフで破り、初のメジャヤータイトルを獲得した。欧州選手のメジャー優勝は1999年「全英-」でのポール・ローリー以来8年ぶりで、アイルランド人の全英オープン優勝は1947年フレッド・デーリー以来60年ぶりとなる快挙で、メジャー優勝後は欧州を代表する選手として確固たる地位を確立した。

さらに翌2008年の「全英オープン」で連覇を達成。1906年、スコットランドのジェームズ・ブレイド以来102年ぶりの記録で、母国のヒーローとなった。実は、連覇に挑む「全-」開幕直前、自宅近くで練習している時に左手首を負傷した。前日まで痛みは治まらず、出場が危ぶまれ、練習ラウンドも9ホールのみで本番を迎えたが、棄権の危機から一転、優勝を飾り、“ド根性”を見せつけた。当時、世界ランクは6位に急上昇を果たすと、翌8月の「全米プロ」でも優勝し、メジャー2試合で連続優勝を飾る破竹の勢いを見せた。同大会の優勝は、欧州選手としては1930年、トミー・アーマー以来78年ぶり。さらに「全英-」と「全米プロ」同一年度の優勝は、ゴルフ史上4人目の快挙となった。ここまでの実績を残しても、彼はいつも肩の力を抜いて自然体でいられる、飾り気のないチャンピオンなのだ。

■ これぞハリントン・ワールド!

ハリントンは珍事を起こす名人だ。メジャー3勝、米ツアー6勝、世界17勝の実績でワールドワイドに活躍。このようなミスがなければもっと勝利数が多かったかもしれない珍事を紹介しよう。

その1:「まさかの敗因」
2001年「世界マッチプレー選手権」の決勝で、2アップとリードしながらイアン・ウーズナムに逆転負けした時の会見だった。「敗因は空腹。これからは3時間ごとにスナックやバナナを食べるようにする。良い教訓になった」。大勝負の敗因がショットやクラブ選択ミスではなく“空腹”!?という回答に、記者たちは懸命に笑いをこらえた。彼らしい率直な言葉は、ある意味で衝撃でもあった。

その2:「不戦勝ならぬ、豪州での不戦3位」
1998年、豪州で開催された「ハイネケンオープン」最終日は午後になり強風が吹き荒れた。全組終了の3時間前にホールアウトしたハリントンは、プレーオフはないと判断し、出国手続きを済ませロンドン行きの飛行機を待っていた。ところが悪天候でスコアが崩れ、試合はプレーオフへともつれた。その知らせを受けた時には、ハリントンは空港内のサテライトにいたため“時すでに遅し”。プレーオフに参加できず3位となった。

その3:「サインは忘れずに」
2000年「ベンソン&ヘッジズ」では自身のミスで優勝を逃してしまった。単独首位に立ち2位に5打差の大差で最終日を迎えたハリントン。圧倒的に有利なはずだったが、大会初日のスコアカードに、サインし忘れていることが発覚。最終日のスタート前に失格が言い渡された。

その4:「ビッグな忘れ物」
2008年7月の「全英オープン」で連覇を果たし、優勝トロフィーである“クラレットジャグ”を遠征先に持参して、仲間と酒を入れて飲むことを楽しみにしていた。翌月、米国で行われる「ブリヂストン招待」出場のため、アイルランドからシカゴに到着した際、いつもクラレットジャグを入れているバッグだけが届かなかった。紛失すれば一大事になりかねないこの騒動に、慌ててロストバゲージの手続きをしようと列に並んだ時、あることを思い出したのだ。「あのバッグ、家に忘れてきたかも!?」。自宅に電話すると、しっかり玄関に置いてあることを確認し、一件落着した。

その5:「視聴者は見た!」
2011年1月「アブダビ選手権」初日、7アンダーで首位に1打差と好スタートを切った。2日目も良いプレーができるよう準備をしていたが、スタート前に突然「失格」を言い渡されたのだ。7番グリーンでボールを戻し、マーカーを取ろうとした時に、指がボールにかすかに触れたことで、(ボールが)微妙に動いた。元の位置に戻ったのでプレーを続行した一部始終を、テレビ観戦していた視聴者から報告され、大会側は録画で確認。競技委員は、「ボールは元の位置に戻っていない」と判断し、誤所からのプレーで2打の罰を加えられ、すでにスコア提出を済ませていたハリントンは、過少申告により失格となった。

佐渡充高(さどみつたか)
ゴルフジャーナリスト。1957年生まれ。上智大学卒。大学時代はゴルフ部に所属しキャプテンを務める。3、4年生の時に太平洋クラブマスターズで当時4年連続賞金王に輝いたトム・ワトソンのキャディーを務める。東京中日スポーツ新聞社を経て85年に渡米、ニューヨークを拠点に世界のゴルフを取材。米国ゴルフ記者協会会員、ゴルフマガジン「世界トップ100コース」選考委員会国際評議委員。元世界ゴルフ殿堂選考委員。91年からNHK米ゴルフツアー放送ゴルフ解説者。現在は日本を拠点に世界のゴルフを取材、講演などに飛び回る。

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