1999年 全米オープン

壮絶バトルを制したのは!42歳、ペイン・スチュアート。8年ぶり2回目のオープン優勝だ!

1999/06/21 09:00

最終日もまた小雨。そして風が吹いた。前日にも増してラフの芝が粘り、グリーンの難しさが増した。パインハーストNo.2コースは手のつけられないほどタフなコースに変身して選手たちを翻弄した。

見応えのある試合だった。これまで何回も何回もあわやのところで2度目の優勝を逸し続けてきたペイン・スチュアート。実力と人気は圧倒的ながら、なぜかメジャー勝利に恵まれてこなかったフィル・ミケルソン。そして最後まで争いに絡んできたタイガー・ウッズビジェイ・シン

最終日を81とした横尾要が「守ることも攻撃のうちだということを思い知らされた」と語った。もちろんこのコースとこのピン位置は、決して攻めてはいけないことを知らなかったわけではない。攻めてはいけない。しかし安易に守っててもやはり道は開けない。攻めと守りの間に、おそらく1本の糸のように細い微妙なルートがあるのだろう。

横尾の場合は3日目4日目、その細い細い攻略ルートをほんの少し外れてしまった。その結果が78と81。「悔しいけど仕方ない。ボクのアプローチとパターでは通用しないことがわかった。来年また最終予選から挑戦します」と言う。ぜひ挑戦してほしい。全米オープンは横尾に素晴らしい財産を与えた。結果的な順位は57位だが、そんなことはどうだっていい。世の中にはこんなコースがあり、多くの選手たちが信じられないようなテクニックと精神力で闘っていることを肌身で知っただけでも素晴らしいことなのだから。

それにしても、まったく信じられないような男たちだ。ただ単にピンに向かって絶妙なショットをすれば報われるというコースではない。ピンを攻めず、しかし逃げず、完璧なはずのショットがグリーンを転がりおちても落胆せず、執拗に寄せてパーをセーブする。果てしなく続く神経戦、消耗戦の繰り返しだ。

10番ホールでわずかな綻びを見せたスチュアートが1アンダーに落ちた。ここでミケルソンと並び。12番でラフに入れたスチュアートが3オンとしてイーブンに後退し、ミケルソンに首位を譲った。しかし13番でまた追いついた。

タイガー・ウッズも16番ホールでイーブンに戻し、久しぶりに吠えた。これで優勝争いの戦線に復帰だ。しかし気合の入った17番をボギー。18番も入魂のボールはカップの周囲を回った。これでウッズの全米オープンは終了。あとは上位が落ちてくることに期待をつなぐしかない。

実際、スチュアートもミケルソンも、いつ落ちても不思議はないような展開だった。しかし、崩れない。ボギーを叩いても、すぐ取り戻す。お互いイーブンでむかえた17番では信じられないような美技の応酬の末、ついにミケルソンが1.5メートルを外した。スチュアートが1.2メートルを入れた。しかし18番、今度はスチュアートがティショットをラフに入れ、やむを得ない5メートルへの3オン。ミケルソンは7メートルへ2オン。ギャラリーも関係者も、おそらく6~7割の確率でプレーオフを考えたに違いない。

最後の最後、スチュアートの気力が勝ったのだ、といってもいいのかも知れない。パットは気力だけで入れるものではないが、優勝のかかったパーセービングパットにしては、あまりにもタッチが強かった。これまでのように距離を合わせようとか、オーバーしたときの危険性とかが感じられないようなパッティングだった。自分を信じ、外れることを考えないでヒットしたから、あれだけしっかりしたタッチでストロークすることができた。

ど真ん中から転がり込んだ。91年に続く2回目のオープン勝利。3回目のメジャ優勝。そんなことより、これまで何回となく優勝に手をかけながら崩れていった悔しい思い出が脳裏を駆けめぐったに違いない。
単なる喜びの表現ではなかった。この4日間、いや何年もの間 閉じ込められていた膨大な感情が一気に堰を切ったのだ。だからスチュアートは吠えに吠えた。グリーンを踊りまわった。祝福しようと寄ってきたミケルソンの顔をわしづかみにしてわめいた。

42歳。まだあんなに膨大な感情を抱え込んでいる人だったのだ。その感情を押さえ込んで冷静沈着に自己をセーブし続けていた人だったのだ。ミケルソンは本当に残念だったし、タイガーも惜しかった。でもそんなことは別にして、心からおめでとうと言いたくなる。おめでとう、ペイン。

1999年 全米オープン