クリス・コモ、ウッズの新スイングコーチになるまで
クリス・コモが最初にゴルフを指導したのは友人相手で、人工芝のマットを使い、レッスン料はもらわなかった。場所はカリフォルニア南部にある距離の短いパブリックコース。私自身が、彼に指導してもらった友人の1人だった。
コモとの付き合いは、ロサンゼルスから北に車で30分ほどの距離にあるウェストレークGC(5,000ヤード)で働いてからなので、もう20年来になる。私は頑なに彼の助言に耳を貸さなかったが、今では聞いておくべきだったと思っている。
タイガー・ウッズのスイングコーチとなった彼は、ゴルフ指導者としてもトップクラスとして見られるようになった。優れた才能を持ちながら、表舞台に立つまでに忍耐を続けた存在。彼こそ、その代表格だ。
彼のキャリアの歩みを見るのは面白かったし、良い影響も受けた。それは、地元のバーで演奏していたミュージシャンがビルボードのチャート1位に上り詰める姿を見ているような、そんな感覚だった。彼のゴルフにかける情熱は凄まじい。トップインストラクターに師事するため、アメリカ国内を転々とし続け、フルタイムで働きながら、生物力学の修士号を取るために夜学に通い、借金までして1台目のトラックマンを購入した。
その甲斐があったということなのだろう。
彼はゴルフの指導者を天命と考えたことはない。仕事とは思っていないと、私に何度も話している。富を得るため、あるいは名声を得るためにゴルフに情熱を傾けてきたわけでもない。より良い指導者になることが、彼の人生における目標なのだ。ゴルフスイングはパズルのようなもので、3次元から成っている。そして無数に変化し得る。彼は、その問題を解決したいだけ。常にスイングに関心を持ち続け、それが彼の刺激になっている。
私が彼を形容する際、真っ先に出る表現は、自分が知っている中で最もスマートな人物であるということ。彼が話をする時の身振り手振りからも、その様子が伝わるだろう。人の話を聞く時は興味津々で、関心を示し、あらゆる情報を得ようとする。良い知識を得るのと同時に、これまで正しいと思っていたことを破棄する寛容さも持ち合わせている。
だから、練習場以外では、我々は書店で多くの時間を過ごしてきた。頻繁に通っていたのは、ウェストレークGC近くにあるバーンズ・アンド・ノーブルだった。
ウェストレークは、以前ウッズがワールドチャレンジを開催していたシャーウッドカントリークラブの近くにある。両コースは16kmほどしか離れていないが、類似点は地理的なものだけだ。
シャーウッドはジャック・ニクラス設計のコースで、ウェイン・グレツキー(元プロアイスホッケー選手)もメンバーの1人だ。ウェストレークはパー67のコースで、400ヤード越のパー4は1ホールしかない。練習場では人工芝のマットだけが使用を認められており、芝からショットを打とうとすれば、練習場の隅から隅までを眼光鋭く見張るスタッフにどやされる。だが、距離は短くとも、その特徴によって足りない部分が相殺されているコースといえる。
ウェストレークはコモの自宅からは30分ほどの距離にある。もっと家に近い場所にもコースはあるが、彼はウェストレークで働き続けている。夜間用の練習施設があることは、その要因の1つだ。ハイクラスなコースほどではないにせよ、夜間練習が可能ということで、驚くほどに多くのプレーヤー、しかも高い技術を持ったゴルファーを引きつけている。ハリウッド俳優のウィル・スミスやマーティン・シーンも訪れ、ゴルフ指導を受けたこともあった。ウェストレークは、バッバ・ワトソンが「ワールドチャレンジ」出場中に携帯電話で動画を撮影した場所でもある。
ウェストレークの指導者には、PGAツアー参戦経験のあるテッド・リーマンのほか、ウェブドットコムツアープレーヤーのクリス・ザンブリも籍を置き、オフの時に指導してくれる。ザンブリは現在、南カリフォルニア大の男子ゴルフチームの監督も務めている。メンバーから紹介され、コースの規則とマナーテストさえクリアーすれば、6ドルのグリーン使用料でレベルの高いジュニアプログラムも受けられるため、魅力的で、家計にも優しいコースとして知られている。
従業員特権は、練習場ではボールを無制限に打てること。極めて重要なことだ。以前私がカート場に配属されていた時、コモはプロショップで働いていた。5歳年上の彼は、暇な時間が出来ると、理想的なインパクトポジション探求のため、カート場の裏にあるコンクリートの地面からボールを打っていた。私は練習マット以外からは打たなかった。夜はプロショップでスイングについて議論し、時には仕事終わりの駐車場で、街灯の光の下でスイングポジションの分析をすることもあった。
ウェストレークではユニークな経験が出来る。練習場のボールをプロショップに運んでいた時のことだ。カート場から50ヤードの距離を運転して運ぶのだが、バックファイヤーを起こすカートの後ろにベニヤ板を取りつけ、その上に黄色いバスケットを載せて運ぶ。当然バスケットが引っくり返るのを避けられるわけもなく、赤いストライプの入った練習用ボールがパッティンググリーンに転がることもしばしば。毎夜、40枚の人工芝マットをカートに積み込む必要もあった。夜の10時半に最後の1枚を3m空中に放り投げるときは、地面を使っていかに力を生み出すかについて多くを学んだ。特に、雨でマットに水がたっぷり浸み込んでいる時には。
私達はお互いカリフォルニアから移り住んだが、今でもツアーイベントで顔を合わせている。先週の土曜までコモの存在はあまり知られていなかったかもしれないが、ここ数年前から関係者の間では有名な存在だった。ゴルフダイジェストでは40歳以下の指導者トップ40に入り、ゴルフマガジンでは指導者トップ100ランキングに入った最年少者ともなり、高く評価された。ウッズの前コーチであるショーン・フォーリーも、昨年チャーリー・ローズ・ショーのインタビューで、彼について「革新的な指導をする若手指導者」と称賛した。ツアープロの間でも彼の評価は安定して高く、テキサス・ウーマンズ大で生物力学を教えているヨン・フー・クウォン教授との共同研究は、ほかの教授からも高く評価されるなど、彼の存在はツアーで知れ渡るようになった。
コモがウッズのコーチに招聘されたことは、我々がゴルフに恋をしたユニークなコースが注目される良い機会になっている。プレーするにも最高の場所だし、働くにも良い環境だった。90年代後半にウッズが現れ、優勝に次ぐ優勝を重ねた時、特にメジャー優勝後には、感化された人が練習場に殺到し、ストレスを感じる時もあった。大勢の人が列を成して順番を待つほどで、当時はプロショップに練習用のボールをストックしておくことすら難しかった。
今度は、ウェストレークの古い1人の従業員のおかげで、再び練習場に活気が戻ってくるかもしれない。