2004年を振りかえる/アーニー・エルス編
2004年欧州PGAツアーの賞金王、PGAツアーでも賞金ランキング2位と文句無しの素晴らしいシーズンを過ごしたはずのアーニー・エルス。しかしエルスにとっては悔しさの残るシーズンだったに違いない。2004年の「ソニーオープン」をプレーオフの末、優勝したエルスは自信に満ち溢れ、オーガスタ・ナショナル入りした。「マスターズ」最終日のバックナインに折り返すまで、エルスがついにグリーンジャケットの袖に手を通すときが来たと思われていた。しかしミケルソンが上がり7ホールで5つのバーディを奪い、優勝をさらっていった。
アーニー・エルス(マスターズ時)
「落胆していますよ。でもミケルソンは長年メジャーに勝てずに苦しんでいましたからね、その意味では彼を祝福します。今回は僕が負けたのではなく彼が勝ったのです」
ジャック・ニクラス主催の「メモリアル」での優勝で再び勢いをつけたエルス、「全米オープン」でも優勝争いにしっかりと身を置いた。しかし最終日“アンプレアブル”との批判を受けたコンディションの悪いグリーンに泣かされ、信じ難い80の大叩きで自滅してしまう。
続く「全英オープン」では唯一、4ラウンド全てで60台をマークする好調振りで優勝は間違いないと思われていた。ティショットには苦しんでいたものの、パットの好調ですべてを切り抜けていた。しかし72ホール目、入れれば優勝という2メートル半のパットを痛恨のショート。結果トッド・ハミルトンと4ホールのプレーオフに突入。プレーオフでも果敢な攻めが裏目に出たり、レギュレーションで決まっていたパットが決まらず、ハミルトンに優勝を譲ってしまった。
アーニー・エルス(全英オープン時)
「レギュレーション72ホール目のパットのことは悔やまれてしょうがない。当分忘れられないだろうね」
そして1ヶ月後、ホイッスリングストレイツで開催された「全米プロゴルフ選手権」。最終72ホール目でのボギーがプレーオフ入りのチャンスを奪った。結果、ビジェイ・シンが優勝。エルスの脳裏には「もしプレーオフに残れていたら」という後悔の念が溢れたことだろう。
今年4大メジャーの全てであとわずかのところまで来て逃してしまったエルス。ちなみにエルスにとっては落胆のシーズンであったとしても、PGAツアー、欧州PGAツアーの両方でなんと合計800万ドル以上稼いでいる。2004年シーズンの悔しさをバネにエルスがより気合の入った2005年シーズンを見せてくれることだろう。