名手が3ウッドでパット 青木功の秘蔵写真/海外ゴルフ回顧録
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、各国で大規模イベントが中止や延期に追い込まれた2020年。プロゴルフも例外ではなく、選手たちの熱戦を見られない期間が続いています。自粛ムードが漂うなかではありますが、再開のときが来ることを信じ、ゴルフカメラマンの厳選写真で世界のゴルフに思いを馳せます。(JJ田辺カメラマン)
「その写真、使うなよ!」
およそ20年前のモノクロ写真。21世紀の初めはまだ、フィルムで撮影していた時代でした。古いネガを漁り、都市封鎖が続くニューヨークでデジタル処理したのは、かつて米国でも活躍していた青木功選手の画像。ロサンゼルスで行われた試合でのひとコマです。
青木選手は当時、シニアツアー(PGAツアーチャンピオンズ)に参戦中でした。パットの名手として知られていますが、クラブのヘッドをよく見てください。グリーン上でフェアウェイウッド(3W)でボールを転がしているんです…。その日はどうも調子が悪かったらしく、終盤に入って悔しさのあまりパターで地面をたたいたところ、壊れてしまったのです。試合中に「その写真、使うなよ!」と釘を刺され、掲載の“お許し”が出たのがそれから約5年後のこと。青木選手は「そんなこともあったなあ」と当時を懐かしそうに振り返っていました。
レギュラーツアーで現役バリバリの時期は、おそらくギラギラしていて、ロープの外からはやはり怖い印象があったのではと想像します。それでも特にシニア入りしてからは、試合後に「おい、寿司食いに行くぞ!」なんて気さくに接してくれる心優しいスターでもありました。
1983年「ハワイアンオープン」での日本人初の米ツアー優勝はもとより、現地の選手やファンの胸にはジャック・ニクラスとの80年「全米オープン」(バルタスロールの死闘)での戦いぶりが強く刻まれています。ニクラスだけでなく、アーノルド・パーマー、レイモンド・フロイドら多くのレジェンドからも一目置かれていました。
そして多くの人の証言にもあるように、米国社会に積極的に溶け込もうとした少ない日本人選手のひとりでした。スマホもグーグルマップも、ツイッターもインスタグラムもない時代。「SNSだけでつながっている」というのとは違う人間関係を築いたことは、PGAツアー1勝という実績よりもっと大きな価値があることのように思うのです。