いいかいアニカ。うまくなることに近道はないんだよ
いったいひとりのプレイヤーがあれほどまでに圧倒的なやり方でゴルフ界を席巻できるものなのかどうか、我々は去年の冬、信じられないような思いでタイガー・ウッズの2000年を振り返っていたはずだが、それからほどなくして再び驚愕することになった。
2001年、アニカ・ソレンスタムは序盤から6試合で4勝をあげ、女子プロとして初めて59というスコアを出し、26試合に出場してまったく予選落ちをせずに20試合でトップ10に入りを果たした。ロサンゼルスではLPGA記録に並ぶ最終日の10打差逆転優勝を遂げている。18ホール、36ホール、72ホールの最少スコア記録も塗り替え、1996年以来のメジャーとなるナビスコを含め4連勝を果たした。年間平均スコア69.42もLPGAの最少記録となり、年間8勝は1979年にナンシー・ロペスに並んだ。そしてLPGA史上初めて年間獲得賞金総額が200万ドルを超えた---。ふぅっ。息つく隙もないくらいあらゆることをやってのけたソレンスタムの2002年はどうなるのだろう?
「引退しませんよ、同じようにやっていくつもりです」
今季のフィナーレとなった先月のフロリダ・ウエストパームビーチでの試合の夜、微笑みながらそう言うソレンスタムに、今年の成績は自分の期待以上のものだったかどうかを尋ねた。
「ある意味ではそうです。でも、はじめから私は自分に対してかなり高い目標を設定しています。私は今年すべてを賭けてやろうと決意して、その甲斐があったというわけです」
「私はベスト・プレイヤーになりたいと願っていました。少なくともいまはそれが叶いました」
1999年、そして2000年と賞金ランクは4位、2位。ソレンスタムはこの間に7勝しているのだからLPGAのトップから姿を消していたわけではない。しかし、ただひとり君臨していたわけではなく、2年前には朴セリが一身に注目をあつめ、そして去年はライバル、カリー・ウェブの独占支配状態。過去31勝をあげ、もはや殿堂入りは在籍期間の条件だけとなっている31歳のソレンスタムが、いかに勝負の世界に厳しい態度で臨んでいるかを知っている者なら、ナンバーワン以外は彼女にとって満足できる場所ではないことはわかるだろう。何かすごいことを成し遂げるためにはそれなりの準備が必要だということを彼女は感じていて、自分の人生においてその時期が来たと思った時、彼女は苦労することをいとわなかった。
まだスウェーデンにいた15歳の頃、練習ラウンドの途中で少しでも雨が降り始めようものなら彼女はあわててプレイを中断し、父親に電話をして迎えに来てくれと頼んだ。父親トム・ソレンスタムはそれに応じたが、家へ向かう途中で娘に向きなおって、「いいかい。うまくなることに近道はないんだよ」と優しく言った。彼女は雨の中でもボールを打っているプレイヤーのことを考え始めるようになった。
「父の言いたいことがわかりました。それを私は思いだしていたんです」
ソレンスタムの2001年はLPGA史上に残るもっとも偉大な一年であると言っていいだろうか。年間勝利数では1963年のミッキー・ライトが13勝しているし、長期にわたって破られない記録ということなら1968年にキャロル・マンのマークした72.04が10年間も最少平均スコアであり続けた。圧倒的という点では1978、79年で17勝したナンシー・ロペスがいる。
「いや、最高の一年じゃないというなら2番目も3番目もないでしょう」
LPGAコミッショナー、タイ・ヴォウトウは、ルーキーで9勝、25位以下の成績がなしというナンシー・ロペスの1978年に匹敵すると言った。
プロ・ゴルフについて違う時代のことがらを比較するのは、リンゴとドングリを比べているようなものだろう。ロペスが飛び抜けて他を圧倒していた70年代末を目の当たりにした者でも、近年の女子ゴルフ界の国際的な選手層の厚さや優れたプレイヤーの多さを思えば隔世の感があるはずだ。
「私はアニカのやってきていることは驚異的だと思う」
ロペスと同じ70年代終盤にツアー入りした殿堂プレイヤー、ベッツィー・キングはそう語る。
「ナンシーがツアーに来た時もすごかったけれど、いまの試合で年間8勝するのは当時よりもたいへんなことです。アニカのスタッツを見たら信じられないでしょう、平均スコアとかGIR(グリーンズ・イン・レギュレーション)とか・・・・・。私たちのツアーで誰もいませんよ、あんな数字を出してきているプレイヤーは」
「二人はずいぶん違います。ナンシーにはすごくカリスマ性があるし、たくさんのギャラリーを引きつれていて、どこで試合があってもホームゲームみたいだった。実際、あまりの観客の多さにほかのプレイヤーが緊張してだめになって彼女が勝ったということもあったと思う・・・。だけど、アニカと一緒にプレイするのはマシンを相手にプレイをしているようなもの。彼女がミスするなんてあり得ないもの」
3月のフェニックスでのソレンスタムほど完璧にチューンナップされたマシンはなかっただろう。かねてより18ホールを54というスコアでプレイすることについて語ってきた彼女だが、ムーンヴァレーCCでの2日目、出だしの13ホールのうちの12ホールをバーディにした。妹のシャーロッタ、そしてメグ・マロンが一緒だった。その日9ホール目となる18番のパーパットを沈めて28で前半を終えた時、シャーロッタのキャディがヤーデージブックをマロンに突きだした。そこには「59?」と走り書きがしてあった。マロンは「絶対いけるわ」と答えた。
「あの日一番印象に残ったのは、彼女がたった一度フェアウェイをはずした時、アプローチをグリーンの真ん中に乗せてさっさとそこをパーにして次へ向かったこと。それこそ彼女の精神的な強さでしょう。13ホールのうち12ホールでバーディをとっても彼女は驚きもしなかった。そのくらい当然という状態にあったのね、つまり競技者としてそのくらい気合いが入っていたということだけでもすごいけど、それからすぐに歴史が作られるのを見ることになったわけ」
2001年のソレンスタムを賞賛する多くのことがらのなかでも、59というスコアを出したことは彼女の宝だ。
「私は13のバーディをとって、リップアウトもいくつかありました。あの日を、あのラウンドを私は決して忘れないでしょう」
そう遠くない将来に54を出す日が来るという思いを彼女は強くしているだろう。ゴルファーが完璧なゴルフというものにわずかずつでも近づいていることを、今シーズンのアニカは物語っている。もっとも当のソレンスタム自身は、それを実現するまで満足することはないだろう。(GW)