<40代は惑える戦士。せつないかな、誰もが藤田や谷口になれるわけではなくて・・・>
先々週のミズノオープン初日。スタートの1番でティショットを打つなり、伊澤利光がつかつかつか・・・と近づいてきて、ニンマリと言った。「見てくれた? 今年一番のショットが打てたよ」。当時すでに今季8戦目である。過去2度の賞金王である。初の頂点に立った2001年の獲得賞金2億1793万円は、史上最高額であった。
タイガー・ウッズにも匹敵すると言われた。アーノルド・パーマーに「キング・オブ・スイング」と褒めそやされた。ツアーきってのスインガーと呼ばれた選手がここ数年は、賞金シードの保持にさえ、あえいでいる状況だ。その一言に、悩みの深さが垣間見えた。
いま、ツアーでは40歳を境に、明暗が分かれている。伊澤も44歳。50代はシニアツアーに軸足を移す手もある。30代なら「まだまだ」と、気力を振り絞ることも出来る。
しかし不惑の戦士たちは、「シニアまではまだ時間がたっぷりとあるし、でも30代と同じようにはいかないし」と、「四十にして惑わず」とは程遠い心境にいるのが大半のような気がする。
40代での勝ち星が、それ以前を上回った藤田寛之や、いま、永久シードにもっとも近いツアー通算18勝の谷口徹などは実は非常に希有な例であり、多くの40代はいま、悩みと葛藤のまっただ中にいる。
「ビッケ(藤田の愛称)や谷口さんは、コツコツと地道に続けてきた努力がいま、まさに開花している」と言ったのは、43歳の桑原克典だ。「それにひきかえ、自分はどこかで兜の緒を緩めたというか、あぐらをかいた時期があったと思う。それも実は今になってやっと気づいたことだけど」。
桑原はジュニア時代から、同い年の丸山茂樹とともに、アマチュアで怖いモノなしだった。プロに転向して3年目の日本プロマッチプレーで2勝目を上げるなど、シードの常連だった。
そんな才能にモノを言わせて「努力を怠った時期がある」と、自らを振り返っての言葉だったと思う。それを聞きながら「いえ、そんなことはないですよ」と、上滑りの台詞を吐くのもはばかられて黙っていたが、でもやっぱりそんなはずはなかったと思う。桑原の黄金期をずっと見てきたが、藤田や谷口と同じように、桑原も人知れずたゆまぬ努力を重ねてきたことを知っている。
2006年に、最初にシード権を失った後はそれ以上で、まさに血のにじむ思いで復活にかけてきた。2008年に奪還に成功したものの、2010年に再び陥落の憂き目に、「また必ず戻ってくる」という言葉とは裏腹に、失望と疲弊の色を強くにじませていたことを思い出す。
そんな桑原が「実は、もういいかなあ・・・と、思っているんです」と漏らしたのは、所属先ミズノが主催する「ミズノオープン」でのことだった。「プロゴルファーだけが人生じゃない。他の分野でも名を成し遂げてみたいし、自分にはそれが出来るという思いもある」と、引退を覚悟しているとも受け取れるような発言をしたのは復活に向けて「これで成績が出ないはずはないというくらいに頑張っている」という、自負の裏返しでもあったと思う。
同時に、「それなのに成績が出ない」というもどかしさと、もはや「何かを掛け違えてしまっているのではないか」という自らへの疑いの念。そして「これだけやってダメなら仕方ないんじゃないか」という諦観。
いま、そんな数々の葛藤を桑原は必死で振り払おうとしている。「でも、やめたらすべてが終わりですから。イライラしたりすることもあるけれど、なかなか上手くはいかないけれども、やるしかない。ビッケや谷口さんが凄いのは、花を咲かせてもまだ、努力を続けているところ。だから僕もコツコツとやり続けるしかないし、もちろん簡単に諦めるつもりはありません」。
誰もが藤田や谷口のようになれるわけではない。
世の40代は、「こんなに頑張っているのに上手くいかない」とボヤき、「ダメなら別の道があるさ」と無理にでも自身を前に向かせながらも「でもギリギリまで頑張ってみる」と、気力を振り絞る桑原にこそ、自分の姿を重ねる人のほうが多いのかもしれない。だからこそ桑原の復活を、心から願ってやまないのだけれど。