ジャパンゴルフツアーの「いいひと」<宮里聖志>
2004年最後のトーナメントながら、来季の賞金ランキングに加算される先週の「アジア・ジャパン沖縄オープン」。今年最後のチャンピオンに輝いた宮里聖志はその優勝インタビューの席上で、心底、残念そうな顔をして言った。
「本当は、自分より弟に先に勝って欲しかったのに…」
幼いころから練習熱心で、努力家の弟・優作。休憩の合間にも、人知れずストレッチを繰り返したり、絶えず体を動かしている。それに引きかえ自分はといえば、「学生時代の練習量は『週2』がせいぜい」。近大4年時には怠慢がたたって留年し、激怒した父・優さんに沖縄に連れ戻されたほどだ。
そんな自分が先に初優勝をあげてしまったことが、聖志には申し訳なくて仕方ない。「優作の努力こそ、先に報われるべきだったんですよ」と、真顔で繰り返した。弟の努力と才能に敬意を示し、妹・藍の快挙を心から喜ぶ。
妬む、ということを知らない純真さと思いやりにあふれている。中学生のときには、こんなことがあったそうだ。練習中に、友人のクラブが顔に当たって額が切れた。血を流しながらも、「僕がそこにいたのが悪い」とその友人を、最後までかばったという。
裏表がなく、明るくまっすぐな性格には関係者にもファンが多く、家族への感謝の気持ちを伝えた優勝インタビューにもらい泣きした人も少なくない。父・優さんも「あいつの人懐っこくやわらかい雰囲気が、家族を優しく包んでいる。宮里家に良い香りを出している」と言うとおり、正真正銘の「いいひと」が宮里聖志という選手。
2005年は、そのおおらかな性格に加えて実力で、ジャパンゴルフツアーにも良い「香り」を運んでほしいものだ。
トーナメントで起こったルール裁定の実例
<アジアジャパン沖縄オープン>
2日目、13番ホール(パー4)のセカンド地点で競技委員要請あり。
プレーヤーの主張は、木の根元近くにある球を「左打ちで打とうと思うが、またそのようにするとカート道路にスタンスが掛かるので救済できるか?」規則で救済できないかとのことであった。
競技委員の裁定は、右打ちでストロークができることと、左打ちはカート道路からの救済を得る為に主張していると判断し、左打ちでの救済を認めなかった。読者の皆さん、この様なケースで左打ちが認められるのは唯一それが合理的と認められたときのみです。