10年前と今 有村智恵が考えるプロゴルファーの存在価値
◇国内女子◇明治安田生命レディス ヨコハマタイヤ 事前(11日)◇土佐CC(高知)◇6228yd(パー72)
10年前、大会初日のプレーを終えた有村智恵は記者たちから大地震があったことを聞かされた。「当時はスマホもなかったので、ちょっと大変なことが起きているのかなっていう感じしかしなかった」と振り返るが、コースが太平洋を臨む海沿いにあったことから、選手を含む大会関係者はそのままコースに足止めされ、午後6時、7時、8時…と時間だけが過ぎていった。
「その日の夜、部屋に帰ってからテレビを見て、こんなことが起きていたのかと言葉を失ったことを覚えています」と有村は言う。宮城県の東北高校出身だったこともあり、震災から2カ月後には被災地を訪れていた。
「最初に訪れたとき、体育館の自分の背より高いところに津波の線が残っていて、床には流された生活用品や家電、ランドセル、位牌、アルバムとかが、ずらっと並べられていました。その光景を見て、みんな引き取りに来てほしいなって思って…」と辛い記憶が残っている。当時、避難所となっていた宮城県山元町の山下小学校を今では毎年訪れるようになったという。
「この試合に来るたびに、毎年あのときのことを思い出すし、ここに来ると少しだけ悲しい気持ちになる。良い成績を出して、良い思い出としてこのコースを刻みたいです」
あれから10年の時が過ぎ、今はコロナ禍に見舞われている。だが、かつて感じた無力さとは少し違う。
「10年前はゴルフなんてしていていいのかなっていう気持ちが強かったけど、今はスポーツやエンターテインメントの力は大切だという思いがあります。ここ1、2年は“我慢”という言葉で過ごしている人が多いけど、スポーツは見ていてものすごく感情が動くので、我慢が強いられている中ではプラスになるのかなと思う」
「ゴルフは我慢のスポーツで、そういう中でスーパーショットやスーパープレーが必ず出ます。そういう中で前向きになってくれる人がいたらいい」。今はプレーすることに迷いはない。(高知県香南市/今岡涼太)