PGAの“左打ち対策”に動じず 24年ぶりのレフティ優勝
埼玉県の太平洋クラブ江南コースで開催された国内男子メジャーの初戦「日本プロゴルフ選手権大会 日清カップヌードル杯」。単独首位から出たアダム・ブランドは3バーディ、4ボギーの「72」(パー71)とスコアを落としたが、2位に3打差をつける通算16アンダーで逃げ切り、日本ツアー初勝利を飾った。左打ちの選手が同大会を制したのは初めてとなった。
3日目を終えた時点で後続との差は6打差以上。倉本昌弘会長はこの最終ラウンドのピンポジションで、“レフティ対策”を考えたという。「3日間、右打者を想定してセッティングしたが、最終日は左打者を意識したもの」。今大会に出場した144人のうち、ただ1人の左打ち選手であるブランドの独走を脅かし、接戦を演出するためだった。
グリーンの左エッジから4.5yd にカップを切った4番のほか「8番やインコースはほとんど打ちにくいセッティングだった」と倉本会長。「ボギーを打っているホールは打ちにくいはず。ちゃんとハマって、彼(ブランド)はスコアを落としている。下(後続選手)が伸びてくれれば、もっと面白い展開になった」と話した。
一方で大量リードを携えて戦ったブランドは「特に難しいロケーションだと思ったものはなかった。難しいのは、リードしている立場で最終日をプレーすることだ」とサラリと言った。
生まれつき右利きだが、14歳でゴルフを始めて間もなく「左打ちの方が上手く打てた」とレフティに転向。カナダツアーで2勝を挙げた後、2011年までは米国下部ツアーが主戦場。昨年から参戦した日本ツアーでは現在、ただ一人の左打ちのツアーメンバーだ。
左打ちの選手が国内ツアーを制したのは、1991年に羽川豊が制した「ダイドー静岡オープン」以来24年ぶりだった。ブランドは「単純に日本にはレフティの数が少ない。カナダでは左右で同じくらいの数の選手がいるようにも思うほどだった。コースでは左打ちだからどうこうという影響は、僕は感じない」。左打ちによるアドバンテージも、その逆も頭には一切なく、ただ淡々と勝利の味を噛みしめていた。(埼玉県熊谷市/桂川洋一)