佐伯三貴 私がプロになろうと思った瞬間
佐伯はアマチュア時代には中国女子アマや全国高等学校ゴルフ選手権を制し、ナショナルチームメンバーにも選出された逸材。宮里や横峯らの1年年上で、ツアーデビューこそ遅かったものの、その実力は高い評価を得ている彼女の“原点”に迫った。
佐伯の少女時代はゴルフと共にあった。
当時、(男子ツアーの白竜湖オープンを立ち上げるなど、)広島ゴルフ界の盟主と言われた祖父・田中金蔵氏の影響で、自宅には青木功やジャンボ尾崎、海老原清治、飯合肇といったプロ達が頻繁に出入りした。父の佐伯行生氏も、アマチュア競技では上位入賞の常連。物心ついた少女が傍らにあったゴルフクラブを握るのは、至極当然の流れだった。
――ゴルフを始めたのはいつ頃ですか?
「初めてゴルフをしたのは、5歳です。結構早かったですね。最初は父の練習についていって、パンパカパンパカ打っていました。本格的に試合に出ようと思ったのは、中学に入ってからです」。
――自宅にはプロがよく出入りされていたそうですね?
「おじいちゃんの影響で、青木さんとかジャンボさんとかが、よくうちに来てくれました。他のベテランの方達も広島に来たらうちに寄って、私の顔も覚えて頂いて。私は小学生のくせに、『そんなアプローチの仕方じゃだめだよ』って、プロにダメ出しをしていましたね。失礼な小学生でした(笑)」。
――プロと一緒に練習していた?
「結構シャイだったので、あまり話はしなかったです。たまに『打ってみなよ』って言われてアドバイスを貰うことはあっても、交わることはあまり無かったですね。でも、色んな人のスイングは見てきたので、目は肥えていると思いますよ。試合もよく見に行ったし、耳から聞く情報、目から入る情報、豆知識は結構多いと思います」。
――練習は一人でしていたの?
「自分で家の前の公園に穴を掘って、試合を想定してやっていました。サンドウェッジ1本ですが、9ホールくらい作って!自分と相手で打ち方を変えて、一人3役をこなしたりして、一人で盛り上がっていましたね(笑)」。