全英を去ったもう一人のプロフェッショナル 74歳スターターがマイク置く
あの声はもう全英で響かない――。セントアンドリュース・オールドコースで開催された2015年のメジャー第3戦「全英オープン」。長きにわたり最古のトーナメントを陰で支えてきた一人の男が、その場を去った。アイバー・ロブソン氏、74歳。41年の間、1番ホールでティオフする選手たちを場内に紹介してきた名物スターターが、聖地でマイクを置いた。
27年ぶりに月曜日に持ち越された第4ラウンド。最終組がスタートする午後2時半、ラストコールの時刻だ。左手首の腕時計を見やり、ルイ・ウーストハイゼン(南アフリカ)に続いて名前を呼んだ。「アイルランド出身、ポール・ダン」――。冷たく舞う霧雨に紛れても、甲高く澄んだ声はスコットランドの空に響き渡った。
ロブソン氏が全英で初めて場内アナウンスを務めたのは、カーヌスティでトム・ワトソンが初勝利を挙げた1975年大会。今回が41回目だった。仕事から引退するのは、今年の欧州ツアー最終戦となるが「(全英から)身を引く場所としてここ以上の場所はありません」と聖地での別れに胸を張った。
いまでは米ツアーの会場でも一般的な、選手を紹介する際の枕詞「On the tee from…(Japan Hideki Matsuyama!)」はロブソン氏が発案した。他の修飾語はつけない、シンプルなスタイルを貫いた。
スターターの仕事を突き詰めていけば、過酷そのものになる。選手のティオフが早朝6時から午後4時前に至る全英のようなロングゲームならば、なおさらだ。10分間隔でフェアウェイに飛び出していく選手たち。スタートが遅れれば、試合も遅れてしまう。
ロブソン氏は朝食にサンドイッチと1杯の水を飲んでからは、任務を終える約10時間、食べない、飲まない、座らない。トイレにも行かない。仕事の前夜は、午後7時以降の飲酒はご法度。このルーティンを守り続けてきた。
初めての全英からこれまで、ミスやトラブルは1度もなかった。最後の全英を前にした心境も同じだった。
「これが最後の全英です。しかし最後にどう感じるだろう…なんて思いを巡らせる時間はありません。ここで仕事をこなすだけ。ただやるべきことに集中するだけです。試合が終わるまで、ほかのことは考えません」
感傷に浸る間もなく終えた40年のキャリア。地味にも見える仕事を続けることで、彼は代わりのいない存在になった。月曜日、72ホールの戦いに加え4ホールのプレーオフで決着した全英オープン。18番ホールではなく、隣の1番ホールで惜しみない拍手を浴びたのは、ハイピッチトーンの実直な職人だった。(スコットランド・セントアンドリュース/桂川洋一)
■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール
1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw