異例の充電期間「4週間」 松山英樹は堂々とマスターズへ向かう
マイアミに春の風が吹き荒れた「WGCキャデラック選手権」は日々、松山英樹に関するトピックスであふれた。
前週の「ザ・ホンダクラシック」を左手首痛で途中棄権してからの復帰戦。初日は雷雨による日没サスペンデッドを強いられ、2日目には暴風を受けて16ラウンドぶりのオーバーパーを叩いた。その夜にはイアン・ポールターにツイッターでバカ呼ばわりされ、翌朝になると前日パターでグリーンに傷を作ったことを謝罪してまわった。話題に事欠かない4日間だった。
だが、もうひとつ別の意味でも着目すべき点もあった。松山にとって、この試合が4月の「マスターズ」前の最終戦だったことだ。
新年早々、1月の「ソニーオープンinハワイ」前から戦いを続けてきたルーキーは、約2ヶ月間、米国に滞在。昨秋からフェデックスカップポイントを全体27位の480ポイントまで積み上げた。来季のシードも確実にし、今月20日には卒業式を控えている事情、日本で精密検査を受ける事情、といった具合に理由はいくつかある。
米ツアーのメンバーとしては、やはり異例といえるスケジュールだ。タイガー・ウッズも、アダム・スコットもロリー・マキロイもマスターズまでのオープンウィークは2週以内にとどめるスケジュールを組んでいる。
しかし本人はまったく意に介さない。「試合勘なんて気にしない」。ルーキーらしからぬ堂々とした決断。2012年大会以来の出場を前に、気持ちの高ぶりも「あまりない」と静かなものだ。
昨年後半、米ツアーのシードと国内ツアーの賞金王のタイトルを、ギリギリの心身で、もぎ取りに行った21歳の頃とは違う。「去年は無理をして、長引いてしまった」と左手の故障個所への向き合い方が変わった。腰を落ち着けて、新天地で戦っている日常が、さらなる自信と落ち着きの根拠となっているようだ。目の前の1打、1試合に全力を注ぐのは当たり前だが、長い目で先を見据える強さが一層備わってきた。
周囲が騒がしかったマイアミで、こんなことがあった。
雷雨の影響を受けた初日の第1ラウンドが日没サスペンデッドとなり、未消化ホールが持ち越された2日目の朝。松山は最終9番ホールだけをプレーし、午後に第2ラウンドをプレーすることになっていた。再開ホールは池の絡むパー3だった。多くの選手は最初のホールの入り方を想定して、スタート前の準備を行う。第2ラウンドが始まるまではその後、3時間以上あった。実際に同組のルーク・ドナルドは、打撃練習の終わりにティペグを深く地面に差し込み、ミドルアイアンを振って再開ホールのティショットに備えていた。
松山は違った。普段と同じようにドライバーショットを終え、短いクラブでの練習に戻ると、最後は30ヤード前後のウェッジショットで締めくくり、いまひとつ調子が出ないまま、不機嫌そうにパッティンググリーンへと向かっていった。長い1日を終えた後、松山はその意図を「うーん、まあ…」と、さも当然と言わんばかりに説明してくれた。
「今日がその1ホールだけで終わるんだったら、アイアンしか打たないですけど、そこから(午後に)18ホールあるんですよ。その1ホールはもちろん大事だけど、今日をトータルで考えたら、19ホールをプレーする。その1ホールだけの練習ではなく、全部ホールを考えた練習をした方がいいと思うんです」。力の注ぎ方が偏ることで、もっと重要な何かを壊してしまうかもしれない。日々のルーティンを重視し、優先順位をはっきりさせた考え方だった。
「キャデラック選手権」を終え、ツアーメンバーとしての転戦や米国での生活について振り返った。「やっていける? やってきてるんじゃないですかね、ここまで。普通にやってきているので、変わらずシーズンを送っていければいいと思います」と手応えは少なくない。そこには既に来季のシード権獲得も確実にしたことによる余裕もあるだろう。
先月末に22歳になった松山の視線の向こうにあるのは、今年のマスターズだけではない。仮に調整段階で躓いて大舞台に臨んだとしても「今年がダメだとしても、それも経験」と、すっぱりと割り切り、原因を突き詰めることだろう。アマチュア時代とは違う、心に強さと余裕を携えたプロゴルファーとしてオーガスタへと舞い戻る。(フロリダ州ドラール/桂川洋一)
■ 桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール
1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw